2018年3月11日、日曜日、午後2時15分、………
座敷の中央には、5人同士の2つのグループが、司会者であるカツ丼小僧を
中央に挟んで、向き合って座布団に座り、お互いをけん制し合い、睨み合っていた。
25年前の筒井康隆『断筆宣言』の、けなし派と擁護派の、合計10名である、………。
今日の討論のために、新たに出席した人たち、………。
けなし派が、………
大江健三郎、 村上龍、 田中康夫、 絓秀実、 島田雅彦、
擁護派が、………
曽野綾子、 内田春菊、 マッド・アマノ、 小林よしのり、 夢枕獏、
………という顔ぶれだった、………。
部屋中に、ピリピリとした緊張感が漂っていた、………。
カツ丼小僧
「皆さん、今日は僕の招待に応じて、よくこの座談会に出席して頂きました、………。
今日のために、新たにお越し頂いた10名の皆様には、心より、感謝の意を表したいと
思います、………。誠にありがとうございます、………。 」
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、
場内から、まばらな拍手が起こった、………。
カツ丼小僧
「この10名の皆様方には、感謝のしるしとして、タフマン1ダースが進呈されます。
帰り際には、どうぞ、受け取っていってください、………。
え~~、それではですね、………
まずは、10名の皆さんに、挨拶をかねて、軽く自己紹介をして頂きましょう。
中には、ちょと正体がよくわからないという方もいると思います、………。
………では、お願いします、……。 まずは、断筆けなし派の人たちから、………。」
大江健三郎
「いやいや、あなた、………
なにも私は、筒井さんの断筆をけなしているわけではありませんよ、………。
ただ、創造性を必要とされる「作家」という視点から見て、差別用語の抗議を受け、
作品を削除されたくらいで、筆を折るというのは、ちょっと短絡すぎると思うんですよ。
それはいけないなぁ、………人間的に見ても浅い、………実に浅い。」
筒井康隆
「だから、断筆を解除したんだから、もういいじゃないか。」
大江健三郎
「まあまあ、人の話は、黙って最後まで聴くもんです、………。
そして、……自分の息子、……作曲家の大江光(おおえ・ひかり)なんですが、………
てんかんの持病を持っているんです、………。
くっ、……くぅぅぅ~~~~~~~~~っ、、、
ま、まがりなりにも、作家のはしくれなら、ちったぁ、言葉に気をつけろってんだよ、
バッキャローーーーーッ、………。
あっ、……言い忘れましたが、私は日本の小説家、大江健三郎です。よろしく~~~。」
筒井康隆
「……………。」
村上龍
「私も日本の小説家、……そして、映画監督、脚本家でもあります、………。
長崎県佐世保市出身、………させろ市では、ありません。え、? わかってる、?
武蔵野美術大学在学中の1976年(昭和51年)に、麻薬とセッ○スに溺れる
自堕落な若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で、群像新人文学賞、及び、
芥川龍之介賞を受賞しました。うひひっ。すげぇだろっ。周りに話して聞かせろやっ。
ヒッピー文化の影響を強く受けた作家として、村上春樹と共に時代を代表される
作家と目されています、………。悔しいのは、同じ苗字ゆえに、いつもこいつと
比較されちゃうこと、………人気は向こうでも、実力は僕の方が断然上だよ。いいね。
あっ、……それから、芥川賞の選考委員も務めています、………。
なんか、自慢話ばかりになっちゃったなぁ~~~。
筒井康隆を、今日弾劾します。………村上龍です。よろしく~~~~。」
筒井康隆
「君さ、………
『限りなく透明に近いブルー』なんて、そんな色、想像できませんよ。
いや、そんな色、あり得ないよ、………。日本語になってないって。」
村上龍
「くっ、………。」
一同
「わははははは。」
田中康夫
「皆さん、こんにちは。ヤッシーこと、日本の政治家、作家の田中康夫です。
1980年(昭和55年)、第1作、小説『なんとなく、クリスタル』を執筆し、
同年同作で、『文藝賞』を受賞しました、………。
浅田彰さんとは、親しい間がらです。
1999年(平成11年)には、浅田さんとのタブー対談集『憂国呆談』も出しました。
そういうわけもあってか、浅田さんの敵は僕の敵でもあるんです、………。
石原慎太郎は大嫌いですが、筒井康隆は、もっと嫌いです。
筒井さん、ごめん、………僕の立場もわかって、………。
冗談はさておき、断筆なんて、そうやすやすとすべきではありません、………。
ちょっとやそっと叩かれたぐらいで、廃業宣言なんて根性なしだ。
クリスタルみたいに繊細だ、………。
わははははは。クリスタル大好きの、田中康夫です。よろしく~~~~。」
筒井康隆
「今日は、『断筆』と『てんかん差別』の両面から叩かれることになりそうだ、………。」
絓秀実
「わははははは。日本の文芸評論家、………
一部では、ただの酔っ払いの与太者と評されている、絓秀実(すが・ひでみ)です。
わしの名字、ちゃんと読めた人、いるかな~~~~~、?
もし、一発で読めたら、君は雑学博士です、………。わははははは。
いや、本名は、菅秀実(すが・ひでみ)って言うんだけどね、………。
なんで、名前を変えたかって言うと、………いやね、……ん、? なんだ、?
あ、そうそう、……日本の評論家、劇作家に、菅孝行(かん・たかゆき)っていう
アホなやつがいて、そいつとの差別化をはかるために、名前を変えたんだ。
バァァ~~~~~カ、………
なんで、こっちが変えなきゃならねぇんだよ、てめえが変えろっての、…………アホ。
わははははは、………。
とにかく、筒井はダメだ、筒井はっ、………。
てんかんなんて、人種差別もはなはだしいっ、………。
土人が聞いたら、泣いて怒るぞ。 わははははは。ウイ~~~、ひっく。
俺だって、いつも周りから、与太おやじって言われてるけど、それだって、
腹たつもんなぁ、………。え、? おい、? 俺のどこが、与太なんだよ、………
言ってみろよ~~~、筒井~~~~~。え、おい、……絓秀実を、よろしく~~~。」
島田雅彦
「こんにちは~~~、初めまして~~~。
日本の小説家、法政大学国際文化学部教授、そして俳優の、島田雅彦で~~~す。
見ての通り、結構なイケメンです、………。
筒井さんも若いころは、そうだったようで、………。ふふふ、………。
1983年(昭和58年)に、『海燕』掲載の『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。
1984年(昭和59年)に、『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞を頂きました。
実は、戯曲活動もやっていて、『僕は模造人間』、『ドンナ・アンナ』、
『未確認尾行物体』と、郊外の新興住宅を舞台にした若年層の生活を、奇抜な語彙を
用いつつ、軽妙な筆致で描く作風で、新世代の作家として注目を浴びました。
ところで僕は、実際、筒井さんになんの恨みもない者ですが、
村上龍さんや田中康夫さんと親しいので、付和雷同、腰ぎんちゃく、
長いものには巻かれろ式に、彼らと一緒になって、
筒井さんの断筆に反対してしまいました、………。
これからもとことん巻かれて、筒井さんを攻撃します。島田雅彦をよろしく~~~。」
渡邊恒雄
「おほおほおほ、面白いのぉ~~~。
入れ歯が外れそうじゃ、……おほおほ、……あっ。」
カツ丼小僧
「はい、……。断筆反対派の皆さん、………。
どうもありがとうございました、………。
何やら、個性に満ち溢れ、とっても愉快そうな人たちばかりでしたね、………。
安心しました。この先の討論が、大いに期待できそうです、………。
それでは、今度は、断筆擁護派の皆さんたちです、………。
………お願いします、………。 」
曽野綾子
「ほほほほほ、………。
日本の作家、カトリック教徒で、洗礼名は、マリア・エリザベト。
聖心女子大学文学部英文科卒業の、曽野綾子でございます。
私の代表作には、『遠来の客たち』(1954年)、『木枯らしの庭』(1976年)、
『神の汚れた手』(1980年)、など、多数あります、………。おほほほほ。
てんかんごときが、なんですかいな、……。
何を言うとるんじゃ、おぬし。そんな事で傷ついていてどうする。屁でもないわ。
頭の中を、てんかんせいっ、………。
私は、アパルトヘイト(人種隔離政策)を賛美しているんですよ。
甘ったれたやわな精神は、叩き直して、矯正されなければならないんです。
私は、最愛の夫、三浦朱門が亡くなった時だって、涙一粒、こぼしませんでした。
私は、断じて強い女です。曽野綾子を、愛して、よろしく~~~。♡♡♡。」
渡邊恒雄
「おほほほほ。うんうん、ええのぉ~~~~。曽野さんや、……今度わしと、………♡。」
曽野綾子
「論外です、……。誰か、この方を隔離してください。」
渡邊恒雄
「ぎゃひぃぃぃ~~~~~~ん、、、傷ついたぁぁ~~~~~~~っ、、、
寂聴さん、あっためてぇぇ~~~~~~~~~っ、、、」
一同
「わははははは。」
内田春菊
「こんにちは~~~。
日本の漫画家、小説家、エッセイスト、そして女優の内田春菊です。よろしく~~~。
本名は内田滋子と申しまして、ノックアウトという芸能事務所に所属しております。
落語立川流の門下でもあり、高座名『立川於春の方』を持っています。多才な女です。
私の個性を認めてくださった、いしかわじゅんさんの紹介もあって、
1984年、双葉社発行の『小説推理』に掲載された『シーラカンスぶれいん』で、
漫画家デビュー出来ました。いしかわ先生、その節はどうも、………
本当にお世話になりました、………。ごひいきにして頂きまして、………。
今の私があるのは、先生のおかげです、………。」
いしかわじゅん
「いやいや、ひいきじゃないよ、………。
全て、君の実力さ、……でも、うまくいって良かったな、………。うんうん、………。」
柴門ふみ
「……………。」
内田春菊
「とにかく、筒井さんとは、対談で幾度かお話したこともありますけど、
とってもいい人で、憎めない人です。こんな人を犯罪者扱いして苛める人の
気がしれません。情で判断してはいけないという人もいるでしょうが、私は女です。
女の目で見た筒井さんは、とっても素敵な方なんです。
あと、もう亡くなってしまった、師匠の立川談志さんもねっ、………。
可憐で恋多き女、内田春菊を、よろしく~~~~。」
いしかわじゅん
「いや~~、春菊さん、………。
あんた、成長したよ、……さすが俺の見込んだ女だけの事はある、………。
素晴らしい。感動した。本当にいい女だよ、お前は、………。うんうん。」
柴門ふみ
「……………。」
マッド・アマノ
「こんにちは~~~~、
マッド・アマノ、……本名は、天野正之(あまの・まさゆき)、
グラフィックデザイナー。有限会社ビッグバン代表取締役です。
東京藝術大学美術学部を、出ています。
え、? いや、出身大学自慢じゃないよ。わははははは。
僕のフォトモンタージュによる、パロディ作品、君、知ってるよね、?
え、? 知らない、? なら、一度、ネットで検索して確認してみてよ。
きっと、「あっ、……これかぁ~~~~。見た事ある。」ってなるから。ふふふ。
ところで、25年前におこった、筒井さんの『てんかん者への差別」って、
あれ、なんだろうね、? あれがダメなら、僕のやってる事はどうなっちゃうのよ、?
一個人を公の場で貶めているわけだから、ある意味、大多数の差別なんかより、
ずっとタチが悪い。 だから、うしろめたさも手伝って、当時、筒井さんの応援に
一役買ってでたんだ。」
石原慎太郎
「そうだよ。よく自分でわかってるじゃない。
ふふふ。君はマッド(キ○ガイ)だから、………。
あれは、権力者をつつくのにかこつけて、ただ人をからかって、貶めているだけ。
悪ガキのお遊びと一緒。それでゼニもらってるんだから。吐き気がするね。
4コマ漫画家や、社会風刺漫画家、なんてもう時代遅れもいいとこだよ。
あんな、低劣で阿漕な商売、早くやめちまいなさいよ。品性のかけらもない。
同じ4コマでも、『サザエさん』は、名作中の名作だけどね、………。
やくみつる
「……………。」
桑田真澄
「自分の顔を滑稽にデフォルメされた似顔絵を描かれた人間は、
それを見て、どんな気持ちになるんだろうか、………。
ホクロだらけの、俺の顔、………。あれを見ると、無性に落ち込んでくる、………。
あんなの、いじめ以外の何物でもないよ。
ましてや、公に公開されているんだぜ、……。漫画家め、……調子に乗りやがって。
何か言いたいことがあるのなら、紙の中でコソコソやってないで、
直に本人の目の前に出てきて、正々堂々とぶちまけてみたらどうなんだよ。卑怯だぞ。」
カツ丼小僧
「大丈夫です、桑田さん、………。
そういう奴らには、必ず神の天罰が下ります。安心して、………。
いくら、表現の自由、言論の自由とはいえ、……
徳義を無視して、あまり行き過ぎると、ペンの暴力、言葉の暴力というのもある。」
やくみつる
「す、すいません、………。
私はゴミです、………。『厄・満』です、………。
今回は、このギャグで、勘弁してください、………。申し訳ない、………。」
マッド・アマノ
「と、と、と、とにかく、筒井擁護派の、マッド・アマノを、よろしく~~~~。」
小林よしのり
「おっす、! ! わしじゃ、わしわし、………。
『ゴーマニズム』『わしズム』の、わしじゅあぁぁ~~~~~。わしわし。
筒井さんを苛める奴は、わしが許さんぞ~~~~。
出てこ~~~~~~いっ、木っ端微塵に打ち砕いちゃる~~~~~~~っ、
筒井さんは、天才なんじゃぁぁ~~~~~~~~っ、、、
あっ、……言い忘れてた、……ごめん、ごめん。自己紹介、自己紹介。
わしは日本の漫画家で、評論家、『よしりん企画』社長 『ゴー宣道場』主催。
福岡県福岡市出身の、大天才児、小林よしのりじゃぁ~~~~~~~っ、」
一同
「知ってますよ~~~~っ、大有名人じゃないですかぁ~~~~~。」
小林よしのり
「わははははは。どうも、どうも。そりゃ嬉しい。
わしは福岡大学の人文学部フランス語学科を卒業して、
1976年に『ああ勉強一直線』を投稿し、デビューしたのだが、
『東大一直線』『おぼっちゃまくん』などのヒット作を持っている。
どうじゃ、すごいじゃろう、………。よしりんこと、小林よしのりでした~~~。」
筒井康隆
「おお、……小林さんじゃないか、懐かしい、………。
あの時、最後の最後まで僕の味方をしてくれた人だ、………。どう、その後、調子は、?
『朝まで生テレビ』には、今でも出演してんの、? 」
小林よしのり
「いえ、僕、どうも、司会の田原総一朗さんとの折り合いが悪いもんで、………。
まったく、奴は独裁者ですよ、………。
でも、たまには、………気分てんかんに、………。」
筒井康隆
「……………。」
小林よしのり
「あっ、……すいませんっ、偶然飛び出たダジャレです、………。悪意はありません。」
女性一同
「よ~~~しり~~~~~~~んっ、、、♡♡♡。」
夢枕獏
「はい、……それでは、筒井『てんかん差別問題』擁護派の最後は、この私、………。
日本の小説家、エッセイスト、そして写真家でもある、夢枕獏です、………。
え~~~、……… 」
女性一同
「獏さん、頑張ってぇ~~~~~~~~~っ、
ぬいぐるみの人形みたいで、かわいいわぁ~~~~~~~っ。」
夢枕獏
「はぁ~~~~い、………。 頑張りまぁ~~~~~~す、。うひっ、うひっ。
それにしても、女の子の声援なんて本当に久しぶりだなぁ、………。
気持ちいいもんだねぇ。心臓が、バクバクしちゃう、………。
神奈川県小田原市生まれ。10歳から小説家を志し、大学卒業後は、編集者をしながら、
作家活動を考えていましたが、就職に失敗して、山小屋で働くことになりました。」
女性一同
「うわぁ~~~~~っ、かわいいっ。クマのプーさんみたいですねっ。♡♡。」
夢枕獏
「わははははは。そうですか。ありがとう。
ペンネームの由来は、夢を食べる獏と、夢のような話を書きたいという意味があります。
高校生のときの同人誌で活動していた頃に使い始め、それまでに複数のペンネームを
使い、2年ほど経った頃に、落ち着きました。
私の代表作には、『キマイラ・吼』シリーズ、『陰陽師』シリーズ、があります。
1977年(昭和52年)には、筒井康隆さんがスポンサーを務める、『ネオ・NULL』に、
『カエルの死』を、発表しました。
この時、筒井さんにはとてもお世話になったので、筒井さんを擁護しましたが、
実は翌年の1978年(昭和53年)には、大江健三郎さんにも、いろいろお世話になって
いますので、どちらの側につこうか、本当はさんざん苦しんだのですが、
ある日の夜、夢の中に筒井康隆さんが出てきて、僕の方に向かって、笑いながら
「おいで、おいで」 と手招きしましたので、筒井さん側につくことにしました。
大江健三郎さん、ごめんなさい。
でも、これは神の啓示だと思って、今後も筒井さんを擁護し続けます。」
一同&筒井康隆&大江健三郎
「……………。」
大江健三郎
「光、………。こんなことで、お父さんは決してくじけないよ、………。」
カツ丼小僧
「はい、……皆さん、お疲れ様でした、………。
エピソード等を交えた、楽しいお話、ありがとうございます。
これで、筒井康隆さん『てんかん差別問題』の、けなし派、擁護派の、計10名の
自己紹介と挨拶が終わりました、………。
え~~~、それでですね、……これから本格的な討論に入りたいところなんですが、
やはり、いつものように、時間が来てしまいました、………。すいません。」
一同
「えぇ~~~~~~~~っ、???
ま、まさか、……今日は、これで終わりなんですかぁ~~~~~、???
自己紹介だけですよ~~~~~~っ。」
カツ丼小僧
「すいませんが、そういう事です、………。
でも、この調子だと、次回からはかなり盛り上がるんじゃないでしょうか、………。
もしかしたら、また飛び入りの参加者が現れるかもしれません、………。
楽しみにしていてください、………。」
筒井康隆
「ああ、……洋ちゃん、……洋ちゃん、……… 洋ちゃんの笑顔が恋しい、………。」
一同
「?、?、?、?、?、」
カツ丼小僧
「それでは、今回は、ここでお別れです。
さようなら~~~っ、。グッドラ~~~~~~クッ、」
夢枕獏
「皆さん、今夜もいい夢、見ましょうね~~~~~~。」
筒井康隆
「ふふふ、……。おいで、おいで、………。」
一同
「わははははは。グッドラ~~~~~~~クッ、」