カツ丼小僧
「え~~~、
2回に渡る、五月みどり特集、………皆さん、如何でしたでしょうか、………?
今日、3回目は、今まで五月さんが辿って来た、
裸の、……いえ、芸能界の軌跡が、ここに年表として記されていますので、
これを読み上げて終わりにしたいと思います、………
それでは、今日も五月さん、お願いします、……… 」
五月みどり
「はい、………。
それでは、「五月みどり年表」を読み上げます、………
皆さん、………私の過去の生き様を、たっぷりとご堪能くださいね、……… 」
一同
「たっぷりと、……ご堪能、………? 」
アントニオ猪木
「たっぷりと、……ご堪能、………ダァァァ~~~~~~~~~~ッ、」
金正恩
「うふっ、……うふっ、……うふふふふっ、………♡♡♡、」
小倉智昭
「あんたね、……… 」
五月みどり
「それでは、「五月みどり年表」です、………
1956年(昭和31年)
16歳で、ニッポン放送『ものまねのどじまん』で優勝。
1958年(昭和33年)
『お座敷ロック』で、コロムビアレコードよりデビュー
1961年(昭和36年)
『おひまなら来てね』が、神戸一郎の『瀬戸の恋唄』のB面として発売。
この曲が大ヒットして、一躍スター歌手となる。 」
カツ丼小僧
「まだ、僕が生まれる前の出来事だ、………
でも、レコードとか、そのA面B面とか言っても、
今の若い人には、よくわからないだろうな、……… 」
渡辺麻友
「ちってまちゅよ、………
ネットで検索すれば、一発でわかりまちゅ、………
常識でちゅよ、………
レコード盤というものの上に、円盤を乗せて、
その上に針を置いて、回ちゅんでちゅ、………
そうちゅると、そこから音が聞こえてくるんでちゅ、……… 」
デヴィ夫人
「ほほほほほ、………素晴らしい、……… 」
金正恩
「俺だって、よくわからない、……… 」
カツ丼小僧
「もう6年ぐらい前になりますか、………
僕が、新規のノートパソコンを購入して、すぐに、
吉永小百合さんの主演映画、『キューポラのある街』を、
レンタルビデオで観たんだけど、
「キューポラ」って、どういうものか、
よくわからなくて、ネットで検索したら、キューポラの画像や説明が
いっぱい出て来て、簡単にわかって、感動したんだ、……… 」
一同
「……………。」
渡辺麻友
「遅れてまちゅね、……… 」
カツ丼小僧
「うん、………僕は、原始人だから、………
というより、頭が鈍いんです、………
スマホだって、2年前に、やっと手にしたんですよ、……… 」
一同
「えぇ~~~~~~~~っ、??? 」
カツ丼小僧
「僕は、魔法使いである、神様の存在しか信じていません、………
想念の力が全てなんです、………科学もへったくれもない、………
実は、人間の行動は、想念の力に引きずられて、動かされているだけなんです、………
想念が先、………行動は後、………
そして、人間の人生は、あらかじめ、がんじがらめに決まっていて、
もう、途中から変わる事がない、……… 」
一同
「?、?、?、?、?、」
五月みどり
「つ、つまり、……
私の「五月みどり年表」も、あらかじめ決まっていたという訳ですね、………
先へ進みます、………
1962年(昭和37年)
『来てねシリーズ』を次々発表し、
この年より、『NHK紅白歌合戦』に3年連続出場。
1963年(昭和38年)
6月に浅草国際劇場、大阪劇場で、それぞれ1週間のワンマンショーを開催。
『第14回紅白歌合戦』で、『一週間に十日来い』を歌い、視聴率85.3%を記録。」
一同
「えぇ~~~~~~っ、???!!!
し、視聴率、85.3%ですかぁぁ~~~~~~~~っ、??? 」
五月みどり
「ええ、………
でも、あの頃、紅白を見る事は、国民的行事のようなもので、
視聴率、70%とか、80%なんて事は、当たり前でしたけどね、……… 」
一同
「そ、それにしても、………。
それだけ国民から注目されたら、……… さぞや、………
自信になったでしょう、……… 」
五月みどり
「ええ、……そうですね、………
自信になりました、……… でも、私としては、脱いで称賛される方が、………
3年後、………必ず、……… 」
一同
「待ってまぁぁ~~~~~す、………♡♡♡、」
カツ丼小僧
「今やメディアは、かなり細かく分散してしまいました、………
もう今後、長嶋茂雄さんや、王貞治さん、美空ひばりさんのような
国民的スターは、現れないでしょう、………
超能力者や、宇宙人以外は、……… 」
一同
「超能力者、………? 宇宙人、………? 」
王貞治
「OH ! ! 」
竹下景子
「はらたいらさんですか、………? 」
一同
「わははははは。」
五月みどり
「宇宙人になら、私も犯されてみたいわ、………
1964年(昭和39年)
クラウンレコードに移籍し、
『温泉芸者』を始めとした、『芸者シリーズ』が、大ヒット。
1965年(昭和40年)
新栄プロダクション社長・西川幸男氏と結婚して、一旦休業するが、
1971年に離婚して復帰。歌手から女優に軸足を移す。
1975年(昭和50年)
ポルノ映画『五月みどりのかまきり夫人の告白』(東映)に主演し、
大きな話題を呼ぶ、……… 」
カツ丼小僧
「う~~~ん、………
1975年と言えば、僕が小学6年生の時で、クラスでいじめに遭っていた年だ、………
まだ、女とか、ポルノとか、そういう齢じゃないな、………
だから、その当時の五月さんの事は、まったく知らない、………
大体、五月さんは、1939年(昭和14年)生まれで、
僕の母親と同じ年齢なんです、………
おがぁじゃぁぁ~~~~~~~~ん、……… 」
一同
「わははははは、………
思い切り、甘えたらいい、……… ♪ハナマルキ、ミ、ソ、……… 」
中村玉緒
「ぬほほほほほ、………
実は、私も、1939年、うさぎ年の生まれです、……… 」
デヴィ夫人
「私は、1940年生まれ、………ニアピン賞、……… 」
カツ丼小僧
「僕がオナニーを初めて体験したのも、2年後の中学2年生の時で、
他人より、ちょっと遅れている、………
まぁ、クラスの女の子のスカートめくりとかは、よくやっていたけど、
あれはスケベ心というか、単なるイタズラです、………
担任の女教師に、こっぴどく、叱られました、……… 」
一同
「わははははは、………。
三つ子の魂、百まで、……… 」
カツ丼小僧
「ええ、………
僕は現在53ですが、本当に100歳まで、
ドスケベ心で邁進していくつもりです、………よろしく~~~~。 」
五月みどり
「ええ、………
頑張ってください、………お固いのを期待してます、………
1976年(昭和51年)
レギュラー出演していた『金曜10時! うわさのチャンネル ! ! 』の
ディレクター・面高昌男氏と2度目の結婚。(1984年に離婚)
1982年(昭和57年)
ロマンポルノ初主演の
『マダム・スキャンダル 10秒死なせて』(日活)が4月に公開。
ヌード写真集『甘い誘惑』(愛宕出版)を発表。
1983年(昭和58年)
『悪女かまきり』(東映)、
『ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き』に主演。
前年に大ヒットした、中森明菜の『少女A』にインスパイアされた、
『熟女B』をポリドールより発売。 」
中森明菜
「えへへっ、………
五月みどりさんを感化させちゃった、……… 」
松坂慶子
「あの頃の明菜ちゃん人気は、凄いものでしたからねぇ、………
私も、『飾りじゃないのよ涙は』とか、レオタード姿で歌っちゃった、……… 」
カツ丼小僧
「僕は将来、明菜ちゃんに、僕の見ている前で、
裸になって、♪「TATTOO」を歌い踊ってもらいたい、………。
それが、夢です、………。」
小泉今日子
「カツ丼さん、………
いつも、そればっかりですね、………本気なんですか、? 」
カツ丼小僧
「ええ、……本気も本気です、………。」
小泉今日子
「明菜ちゃんは、どうなのよ、……… 」
中森明菜
「…………………………。
え、……ええ、………
と、とりあえず、今は、保留という事に、しておきます、……… 」
一同
「わははははは。」
金正恩
「お、おいっ、………
もったいぶるなっ、………今すぐ、踊れっ、………さぁ、踊れっ、………
早く踊らねぇと、銃殺刑だっ、………
うひひひひっ、………うひひひひっ、……… 」
カツ丼小僧
「金さん、………
相変わらず、短気でせっかちですね、………
僕と性格が似ている、……… やはり、独裁者というのは、……… 」
五月みどり
「あ、……あの、………
私の『熟女B』の話は、………? 」
カツ丼小僧
「ええ、………そうなんですが、………
本当に、申し訳ありません、……… 今日は、ここで時間です、………
でも、まだ年表の方が、いくらか残っていますので、
この続きは、また次回ということで、……… 」
一同
「あぁぁ~~~~~~~~っ、っ、っ、……… 」
カツ丼小僧
「何でも、思ったように都合よくはいかないのが、人生というものです、………
1に辛抱、2に辛抱、3、4も辛抱、5も辛抱、です、………
そこに、人生の深みがある、……味わいがある、………ということで、………
ごきげんよう、バイバ~~~イ、………チャオォォ~~~~~~~ッ、」
一同
「チャ~~~~、オォォ~~~~~~~ッ、」