カツ丼小僧と有名人のドスケベ座談会 300

カツ丼小僧

「やりました。快挙です。この瞬間、記録達成です。

 「カツ丼小僧と有名人のドスケベ座談会」、ついに300回に達成しました。

 皆さん、我が座談会の記録達成に、盛大なる拍手をお送りください。」

 

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

  パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、

 

 

カツ丼小僧

「皆さん、ありがとうございます。

 巨泉さんが、この記念すべき場にいないのは、とても残念ですが、

 とりあえず、300回を無事、達成しました。

 これからの座談会の発展のために、今まで通りの皆さんのご協力をお願いします。」

 

松井秀喜

「クスリは、やらないよ。」

 

一同

「わははははははは………。」

 

高島礼子

「……………。」

 

カツ丼小僧

「それでは改めて、犬塚さん、………

 クレージーキャッツのメンバーの話をお願いします。

 え~~、前回は、ハナ肇さんと谷啓さんの話でして、

 今日は、植木等さんからでしたね、………。」

 

犬塚弘

「そう、彼は我がグループの中心人物で、一番の人気者だった。

 1926年生まれ。2007年没。

 俳優、歌手、タレント、コメディアン。

 ギターもやっていたけど、それは、素人の域を出なかった。

 

 東宝映画の「無責任男シリーズ」「日本一男シリーズ」などで人気を博し、

 その中でもまた、多くの歌や流行語を世に送り出している。

 ♪「スーダラ節」、♪「ハイ それまでョ」、♪「ドント節」、

 ♪「だまって俺について来い」等、………

 

 また、当時「無責任」という言葉も流行し、社会現象にもなったけど、

 自身は「無責任」なんて言葉からは、ほど遠く、本当に生真面目で誠実で、

 いい男だった。

 当初、彼は無責任男の役が決まって、「スーダラ節」を歌う事になり、

 自分は本当に、こんないい加減な歌を歌っていいのだろうか、?

 と、本気で悩んだそうだ………。

 

 なんといっても、歌詞の内容が、

 「♪馬(競馬)で金儲けした奴ぁないよ、わかっちゃいるけど、やめられない。」

 ………だからねぇ、………。

 

 でも、厳しい父親に諭されて、開眼したらしい。

 彼の父親は、浄土真宗の住職で、その祖である親鸞聖人を崇拝していた。

 「わかっちゃいるけど、やめられない。というのは、親鸞聖人の教えそのものだ。

  人生の真理だ。」と言われ、歌う事を励まされたというんだ、

 

 晩年の、1990年(平成2年)には、

 自身のヒット曲メドレー、「スーダラ伝説」が大ヒットし、

 なんと、オリコンのトップ10にも入った。その年の紅白歌合戦にも出場して、

 瞬間視聴率も凄い物だったらしい。 」

 

カツ丼小僧

「僕も「スーダラ伝説」は、当時、カセットテープで聴いていましたが、

 こんな軽快で面白い曲があったのか、と感激しました。

 でも、当時は、あまり深く考えず、ましてや、昭和30年代の映画音楽の

 ヒット曲なんて思いもしませんでしたね。

 実は、僕とクレージーキャッツは、もう、ここから繋がっていたんです。」

 

犬塚弘

「それから、面白いのは、彼の生年月日だ………。

 1926年の、12月25日なんだけど、

 その日は丁度、「大正」と「昭和」の変わり目の日なんだ。

 

 まぁ、生まれた時間は知らなかったそうなんだけど、

 「大正最後の日」か「昭和の初めの日」ということになる。

 何か、意味でもあるんだろうか、? 」

 

カツ丼小僧

「ええ、僕も迷信好きなもんで、そういう話には非常に興味があります。

 因みに僕の生年月日は、1964年(昭和39年)2月13日で、

 昔、「抱かれたくない男・No.1」だった、出川哲朗さんと、まったく同じなんです。

 何なんでしょうね、………? 」

 

一同

「わははははは。」

 

明石家さんま

「ヒィーーーッ、ヒィーーーッ、………

 あ、あんた、そ、そんな、大物タレントと一緒だなんて、名誉なことじゃないですか。」

 

カツ丼小僧

「お、大物ですか、………?」

 

犬塚弘

「え~~、それでは、お次、………いつもニコニコ、安田伸。

 1932年~1996年。(享年64)

 サックス奏者、コメディアン、俳優、作曲家。愛称は、ヤッさん。

 奥さんは、美容研究家でもあり、テレビ体操の草分け的存在の、竹腰美代子。

 

 彼は、ちょっとおとなしくて、真面目な性格で、「自分にはタレントとしての

 才能や気質がないんじゃないだろうか、?」と、本気で悩んでいた。

 まぁ、無理もないよ。

 もともと、コメディアンや俳優になろうと思っていた訳ではなく、

 サックス奏者で、生粋の音楽家だったからね。

 

 可哀想に………。 「クレージーのお荷物」とも言われ、

 本気でクレージーキャッツから脱退することも、考えていたらしい。

 でも、ある時、友人から「お前は、六大学野球で言えば、「東大」のようなものだ。

 いつも負けてばかりのお荷物だけど、いつか何かやってくれるんじゃないか、という

 期待があるから、面白いんだ。」と言われ、脱退をとどまったそうだ。

 

 晩年は、肝臓の病気で闘病を余儀なくされたけど、

 愛妻家で、奥さんの竹腰美代子さんとも、最後まで添い遂げた。

 そういえば、「ミヨコー」なんてギャグも、あったなぁ、………。」

 

浅田美代子

「私と同じ名前ね。 竹腰美代子さん、どんな方だったんでしょうか、?

 きっと、美人だったと思うけど、……… 」

 

カツ丼小僧

「それは、各自、ネットでお調べください。

 では、次の方、………。」

 

犬塚弘

「はいよ……。お次は、桜井センリ。」

 

カツ丼小僧

「センズリ、?」

 

犬塚弘

「いえ、センリ、………。

 1926年生まれ。2012年没。(享年86)

 コメディアン、俳優、ピアニスト。早稲田大学中退。

 

 桜井ヘンリー(旧名)として、父の赴任地、イギリスのロンドンに生まれる。

 いわゆる、帰国子女なんだ。

 生年月日に関しては、亡くなる前まで、1930年(昭和5年)と公表していたんだけど、

 本当は、1926年(大正15年)で、メンバーの中では、最年長だった。

 

 何でかと言うと、他のメンバーとのバランスをとるためだったんだ。

 そのため、彼は旧制中学の後輩の、石橋エータローや犬塚弘より、

 年下ってことに、なっちゃった。

 

 1960年(昭和35年)、植木の紹介で、我が「クレージーキャッツ」に招いて、

 結核で療養中だった、石橋エータローの代わりを1年間務めた。

 それで、石橋が戻ってきた後は、メンバーから脱退させるという意見も出たんだけど、

 リーダーのハナ肇が、「せっかく、仲間になったんだから、」と、他のメンバーを

 説得させ、正式加入した。

 

 だから、石橋エータローが、1971年に、クレージーを脱退するまで、

 クレージーキャッツは、ピアニストが2人という、変則的な形を取ったんだ。

 

 それから、山田洋次監督の映画にも重用され、

 「男はつらいよ」シリーズにも、様々な役柄で登場しているよ。

 

 晩年の死因は、報道では、自宅で「孤独死」、ということになっているけど、

 それは、よくわからないし、信じたくもない。」

 

カツ丼小僧

「はい、ありがとうございました。よくわかりました。

 では、次は、……… 」

 

犬塚弘

「うん、今も話に出て来た、石橋エータロー。

 1927年生まれ。1994年没。(享年66) 

 ピアニスト、料理研究家、タレント。 愛称は、エーちゃん。……… 」

 

徳光和夫

「わ、私にとっての、エーちゃんは、

 石橋エータローさんでもなく、永六輔さんでもなく、

 き、稀代のロック・シンガー、矢沢永吉さんで、あります。

 え、永ちゃんって、ホント、渋くて、カッコいいなぁ~~~~。

 か、感動ものです、……びぇぇぇぇ~~~~~~ん。」

 

永六輔

「ははは、………。ありがとう。」

 

一同

「わははははは。」

 

犬塚弘

「5歳の頃から、ピアノを習い、長唄や三味線なども教わり、母から日本舞踊も習う。

 

 彼の父親は、映画監督の福田蘭童。

 石橋が3歳の時、蘭童は、女優の川崎弘子を強姦する事件を起こし、

 世間を騒がせた。その責任をとって、蘭童は、石橋の母と離婚して、

 川崎弘子と再婚したんだ。

 

 当時、映画女優の結婚なんて、絶対のタブーだったから、

 彼女の人気は瞬く間に下がって、引退することになる。

 もう、ここからして、波乱万丈だけど、

 

 終戦の年、石橋は母に内緒で、こっそり湯河原で父の蘭童に会って、

 その時は、いい感じだったんだけど、その後、石橋の母は、

 蘭童に慰謝料を請求して、石橋は蘭童に憎まれ続けるようになる。

 

 1956年(昭和31年)3月、石橋は、クレージーキャッツに参加する。

 彼は、演奏が好きなだけで、仲間に加わったんだけど、

 実際、コントで洗面器を頭にぶつけられたり、

 女形までやらされたことに悩んで、自殺まで考えたことがあるそうだ。」

 

カツ丼小僧

「へ~~、そうなんですか、……… 結構、ネガティブなんですね。

 僕なんか、一度、動画で女装でもしてみたいですがね。」

 

犬塚弘

「う~~ん、イメージというものが、あるからねぇ、………。

 変にそれが、定着すると、……… ただの奇人変人ということにも、………

 

 1971年、心臓病のため、クレージーキャッツを脱退。

 そして、そのまま芸能界からも引退したんだ………。

 脱退から23年後の、1994年(平成6年)に胃がんで死去。

 若い内から、病気と縁が切れない人生だったのは、ちょっと可哀想だった。」

 

 これで、お終い、………。

 さて、最後は俺自身の事を、………。 」

 

カツ丼小僧

「いえ、犬塚さん、すいませんが、今回は、ここで時間です。」

 

犬塚弘

「ガ・チョ~~~~ン、……って、え? オレ、お呼びでないの、?

 そ、それはないでしょう、………。」

 

カツ丼小僧

「いえいえ、そうではありません。

 次回に、ご自身と、クレージーキャッツの事を、

 最後の締めくくりとして、まとめて大いに語ってください。

 よろしく、お願いしまぁ~~~す。 期待してますよ。」