カツ丼小僧
「さて、それでは、今日は「幸福の黄色いハンカチ」を語ろう、………
その、第3回目、………中島さん、お願いします、……… 」
アントニオ猪木
「ダアァァァァァァァ~~~~~~~~~~~~~ッ、」
中島貞夫
「ああ、びっくりした、……… なんですか、いきなり、………
それでは、始めます、………
健さんは、いまでこそ孤高の存在のように言われるけれども、
東映時代から後輩の面倒見が良かった、………
小林稔侍や、千葉真一といった、彼を慕う後輩の一派があるのも、
そういう、ざっくばらんな面があったからこそですよ、……… 」
武田鉄矢
「僕が一番、グッときたのは、僕が、山田洋次監督にしごかれ、
何度もNGを出されて、落ち込んでいると、健さんが、
「おぼえとけよ、映画監督っていうのはなぁ、………
伸びないと思う奴は、しごかないんだよ、」って、
あの、渋い声で、言ってくれたんです、……… 」
カツ丼小僧
「僕の、ポコ○ンは、もう、どんなに、しごいても伸びません、」
黒咲蘭
「私が、伸ばしてあげようか、………? 」
一同
「わははははは、……… 」
皇太子妃・雅子様
「ぶひーーーーーーっ、ぶひーーーーーーっ、」
中島貞夫
「健さんは、現場でも、ちゃんと周りを見ていて、
いつも、しすぎるほどの気配りをしていた、………
東映のスタッフにも、彼のためなら、なんでもする、
というくらい、心酔していた人が、何人もいましたよ、」
近藤勝重
「それでいて、健さんは、自分には厳しい人でした、………
なにしろ、座右の銘が、
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし、」
人生万事精進という、
比叡山の大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(さかい・ゆうさい)氏の言葉です、」
カツ丼小僧
「最近の、僕の座右の銘は、「死して屍(しかばね)拾う者なし、」です、」
浅香唯
「ふふふっ♡、カツ丼さん、人生って、そんなにシリアスなものなの、? 」
カツ丼小僧
「男は、外に出れば、七人の敵がいます、……… 」
浅香唯
「カツ丼さんは、七人のセフレでしょう、……… 」
中島貞夫
「健さんは、目標に向かうためなら、どんな苦労も厭わない男でしたからね、
たとえば、彼の肉体美は、昔から見事でしたが、
'60年代から身体を鍛えていた役者は、彼くらいだった、………
酒もタバコも、昔から一切やらない、………
あまりの節制ぶりだったので、東映内では、
「若い頃に大酒を飲み、取り返しの付かないほどの
大失敗をやらかしたんじゃないか、」などと噂されたほどでした、 」
飯島直子
「私、20代の頃、お酒を、一気飲みして、頭や体が、カッカ、カッカ、して来て、
土砂降りの雨の中を、ストリーキングした事があるわ、………
おっぱいを、ぶっるん、ぶっるん、たわわせながらね、……… 」
一同
「……………。」
飯島直子
「あれ、? みんな、驚かないの、………? 」
一同
「嘘でしょう、? 」
飯島直子
「うん、……… 」
武田鉄矢
「健さん、昔は、酒を飲んだのかどうかは、分からないのですが、
明治大学に通っていたころは、だいぶ悪かったみたいですよ、………
健さん本人から聞いた話なのですが、大学時代、本人が山手線に乗ると、
車両内には、他の客はいなくて、いつも、一人きりだったんだとか、………
子分たちが、健さんのために車両を、きれいに空けてくれたというんです、」
イチロー
「ははっ、星野さん、聞きました、………? 高倉健さんの仁徳ですよ、………
健さんって、-後輩から、慕われていたんだなぁ、……… 」
星野仙一
「……………、イチロー、まだ、これ以上、俺を苦しめ、侮辱するのか、………
いくら、スーパースターとはいえ、……… 後が怖いぞ、……… 」
イチロー
「ははははっ、……星野さん、……わかってないなぁ、………
それが、ダメなんスよ、……… 」
星野仙一
「くっ、……… 」
松井秀喜
「へへへ、……… イチローさんにゃ、叶いませんよ、……… 」
原辰徳
「イ、イチローには、お、俺も、……は、腹立つ、……のり、……… 」
近藤勝重
「健さんは、明治時代は、相撲部に所属し、拳闘もやっていたから、
あながち冗談でもないかもしれない、………
生まれは、福岡の炭鉱町で、健さんは、自分の生まれ地域を、
「盆踊りが終わると、人が死んだような場所だった、」と、
テレビでも話していました、………
健さんが、役者として、化粧のドーランを塗った自分の姿を、初めて鏡で見たとき、
思わず涙が出た、というのは、有名な話ですが、
物言い荒い、武骨な男たちに囲まれて育ったことも影響しているでしょう、 」
カツ丼小僧
「僕は、柔らかで暖かな、女の子たちに囲まれて一生を終わりたい、……… 」
高野人母美
「いいわよ、……私、……… 」
カツ丼小僧
「えっ、………? 」
中島貞夫
「健さんも、最初から大スターだった訳ではありませんから、………
初めは思うに任せない人間も多かった、………
'56年に、「電光空手打ち」で、主演デビューしていますが、
あのころの映画は、2本立て、3本立てでしたから、
この作品も、看板作品の添え物に過ぎなかった、
「日本侠客伝」や、「網走番外地」シリーズで主演する、
'60年代半ばまでは、そうした状況が続きました、 」
カツ丼小僧
「僕は、50になっても、まだ、世間に日の目を浴びていない、………
そろそろ、僕も、健さんのように、……… 」
吉永小百合
「カツ丼さん、頑張ってくださいね、……… 」
小倉智昭
「でも、こういうのって、「運」も、多分にあると思うよ、………
俺も、巨泉さんと知り合って、……… 」
カツ丼小僧
「巨泉さん、僕の事も、よろしくお願いします、……… 」
大橋巨泉
「ドーーーーーーーーーン ・・・・・ ! ! 」
近藤勝重
「健さんは、
「デビュー当初は、監督に相当厳しくやられた事もある、」
と、語っていましたよ、………
ある監督に、「お前は、マルクスも読んでないのか、」と、嫌味を言われ、
「読んでいない」と答えると、「バカ、いい役者になれないぞ、」とも、……… 」
武田鉄矢
「僕も、役者を苛める監督の話は、健さんから聞きました、
役者の道を歩み始めたばかりの僕のために、
あえて話してくれたんだと思います、……… 」
カツ丼小僧
「はい、それでは、今日は、これで、お終いです、………
それでは、皆さん、……… 」
吉野公佳
「はいっ、最後の一言ですねっ、………
どなたか、よろしく、お願いしまぁぁ~~~~す、」
ビートたけし
「今日は、高倉健さんの、主な主演作品のタイトルを紹介します、………
ごく、ほんの一部だけど、有名な作品を、……… 」
岩下志麻
「まずは、「任侠の時代」から、………
1956年「電光空手打ち」、………これは、デビュー作、………
それから、1964年「日本侠客伝」、1965年「網走番外地」「昭和残侠伝」、
あとは、1967年「あゝ同期の桜」、………戦争の、海軍特攻隊の話です、……… 」
松坂慶子
「あとは、1968年「緋牡丹博徒」、1973年「山口組三代目」「ゴルゴ13」、
1975年「新幹線大爆破」、………
それと、1976年は、健さんが、東映から独立した年ね、………
1976年「君よ憤怒の河を渉れ」、そして、1977年は「八甲田山」と、………
うふふっ♡、ついに出ました、……「幸福の黄色いハンカチ」、……… 」
薬師丸ひろ子
「では、ここからは、「人情の時代」編です、………
1978年、……うふふっ♡、私も出ました、「野生の証明」、それと、「冬の華」、
1980年「遥かなる山の叫び声」、1981年「駅 STATION」、
1982年「海峡」、……… それから、……… 」
荻野目慶子
「あっ、……そこから先は、私に言わせて、………
1983年、私も出てる、「南極物語」、………
それと、もう一つ、1983年「居酒屋兆治」、1985年「夜叉」、
1989年「ブラック・レイン」、……それから、「あ・うん」、………
健さんは、この「あ・うん」の撮影中、最愛の母が死去、………
だが、映画に集中し、死に目にもあわず、葬儀にも参列しなかったそうです、
そして、1999年「鉄道員(ぽっぽや)」、2006年「単騎、千里を走る。……… 」、
名取裕子
「そして、健さんの遺作となった、最後の作品、………
2012年「あなたへ」、です、………
健さんの口癖は「人生の宝物は、良い人と出会うこと、」………
そして、この映画、「あなたへ」のテーマも出会い、………
亡妻(田中裕子)の遺骨を、故郷の海に散骨するため、
富山から、長崎県平戸まで旅し、さまざまな人と出会う、………
遺作たり得る名作です、……… 」
カツ丼小僧
「わははははは、……… 雑誌の棒読み、ありがとうございました、………
それでは次回、「幸福の黄色いハンカチ」を語ろう、………
いよいよ、最終回です、……… お楽しみに~~~、」
渡辺麻友
「情報提供は、「週刊現代」、講談社でした~~~、
てへへっ♡、……… 私も、健さんと共演したかったなぁ~~~、」