カツ丼小僧
「今回の座談会のネタも、やはり、「週刊現代」で行きましょう、………
「熱討スタジアム」です、皆さん、週刊現代の172ページをお開きください、……… 」
名取裕子
「うわぁっ、……映画「幸福の黄色いハンカチ」ですって、………
高倉健さんねっ、………私、この映画、観た事あるわっ、………
感動しちゃった、……… 」
カツ丼小僧
「ええ、そうですね、………
「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」、……… ちょっと、紹介しますと、………
1977年(昭和52年)、10月公開、製作・配給松竹、監督・山田洋次、
刑務所を出た、島勇作(高倉健)が、偶然出会った若者ら(武田鉄矢・桃井かおり)に
背中を押され、逡巡しつつも、最愛の元妻(倍賞千恵子)を訪ねるまでを描く、
第1回アカデミー賞、他受賞多数、………
と、ありますね、………
「ほらあ、あれっ!」と、指差す先には、男を待ち続けた女が掲げた、
数えきれない黄色いハンカチが翻っていた、…………
高倉健の国民的人気作を語り尽くす!
刑務所帰りの寡黙な主人公は、健さんそのものだった、………
「幸福の黄色いハンカチ」を語ろう、………
この前、高倉健さんが、お亡くなりになられた事もあって、
この映画を、DVDレンタルで観た、という人も多いと思いますので、
話題には、格好のネタ元だと思います、……… 」
松坂慶子
「高倉健さんも、菅原文太さんも、
任侠ヤクザものの映画がとっても似合う人だったわ、……… 」
かたせ梨乃
「こういう、本格的な渋い俳優は、時代と共に現れるんで、
今後おそらく、もう、なかなか、出てこないと思うわ、……… 」
早見優
「菅原文太さんの、「デコトラ(デコレーショントラック)」なんて、
一時期、大ブームになりましたけどね、……… 」
松本伊代
「優、……今日は、高倉健さんの話ですよ、……… 」
カツ丼小僧
「それでは皆さん、今日は、映画「幸福の黄色いハンカチ」を語るにあたり、
欠かす事の出来ない、2人の主要人物に来て頂きました、………
映画監督の、中島貞夫さんと、毎日新聞客員編集委員の、近藤勝重さんです、
皆さん、拍手を持ってお迎えください、……… 」
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、
中島貞夫
「貞淑で、真面目な男、映画監督の中島貞夫です、
代表作に、「893愚連隊」('66年)、「日本の首領」シリーズ('77~'78年)、
「極道の妻たち 決着」('98年)などがあります、 よろしく~~~、」
近藤勝重
「勝ちを重ねる、……… カツ丼小僧よりすごい、近藤勝重です、………
「サンデー毎日」編集長などをやっていました、
よろしくどうぞ、~~~~~、」
カツ丼小僧
「いえ、……別に、張り合う訳ではありませんがね、………
僕も、カツ、丼(ドン!)で、実は、勝ちが強調されているんですよ、」
大橋巨泉
「わははははは、………俺は、更に、その上だ、……
なんといっても、カツ丼小僧へ、倍率ドン!……さらに倍、……だからな、………
うわはははははは、…………… 」
カツ丼小僧
「巨泉さん、是非、クイズダービーの、完全復活を、お願いします、………
巨泉さんの指で、「笑ゥせぇるすまん」の、喪黒福造のように、
僕の事を、「ドーーン!」と、指差してください、………
僕は、中央の3枠に座っていますので、………
それでは、高倉健さんと、「幸福の黄色いハンカチ」で共演した、
武田鉄矢さんから、お願いします、……… 」
一同
「おお~~~~~~~~っ、」
武田鉄矢
「いまだに信じたくありませんが、日本人みんなの憧れだった、
高倉健さんが逝ってしまってから、もう、2ヵ月近くが過ぎようとしています、
私は、この「幸福の黄色いハンカチ」が、きっかけで、
1977年から、健さんとの、お付き合いが始まるようになりました、……… 」
王貞治
「1977年(昭和52年)というと、僕が、ホームラン世界新記録を樹立した年だ、
しかも、9月3日だから、その1ヵ月後に、封切られたことになる、……… 」
江川卓
「わかってますって、……… そして、その翌年の、1978年(昭和53年)は、
僕の、「空白の一日」事件です、……… 」
カツ丼小僧
「今年、僕、なんか、嫌な予感がするんです、………
江川さんの二の舞になりそうな予感が、……… 」
藤原紀香
「また、カツ丼さんの思い込みなんじゃないですか、………?
ホント、カツ丼小僧さんは、思い込みが激しいですからねぇ、……… 」
カツ丼小僧
「あっ、すいません、…… 健さんの話です、………
中島さん、どうぞ、……… 」
中島貞夫
「僕は、健さんが東映に所属していた時代の仲間です、………
僕が監督した映画、「あゝ同期の桜」('67年)などに出演してもらった、
健さんを、大スターに押し上げた「日本侠客伝」シリーズでは、
脚本執筆を手伝ったこともあります、……… 」
近藤勝重
「私と健さんのお付き合いが始まったのは、20年前、
健さんのロングインタビューが取りたくて、まず長文の手紙を書きました、
やがて、それが功を奏して、実際に取材をする事が出来ました、………
手紙のやり取りは、健さんが亡くなる前の昨年初夏まで続いていたので、
亡くなったと聞いた時には、本当に驚きました、
たしかに、「幸福の黄色いハンカチ」は、健さんの役者人生の、
大きな転換点となった作品でしたね、……… 」
武田鉄矢
「健さんが、東映を離れて独立してから、約1年後の作品だった訳ですよね、………
それまで出演して来た、任侠映画とは、まったく趣の異なる作品だったと思います、」
中島貞夫
「健さんは、東映を出て行くとき、
「このままでは、ヤクザしか演じられない役者になってしまう、」
と、言っていたんですよ、」
カツ丼小僧
「僕は、女の裸しか描けない絵描きですが、それで本望です、………
でも、いずれは、読者の心に残るような、珠玉の漫画も描いてみたいです、」
松坂慶子
「カツ丼さんっ♡♡、……… 私も、その漫画に出演させてっ♡、……… 」
一同
「わははははは、……… 」
中島貞夫
「当時の東映が、高倉健に求めていたヒーロー像は、パターン化していて、
我慢に我慢を重ねて、押し黙っているけれども、
最後には、義のために、刃を振るう、という役ばかりだった、………
役者としての成長を望んでいた健さんは、そのマンネリに耐えられなくなっていた、」
近藤勝重
「疲れ切っていたこともあったでしょう、………
全盛期には、年間、12~13本もの任侠映画に出演していた、
しかも似たような役柄ばかりとあっては、精神的疲労が大きかったはずです、」
カツ丼小僧
「残念ながら、今の僕には、仕事の選択などしているゆとりはありません、
依頼された仕事は、僕の能力の範囲内で、何でも引き受けます、
出来れば、美女の召使いとなって、ご奉仕したいのですが、……… 」
三田村邦彦
「あれっ、お前、サディストなんじゃなかったっけ、……… 」
カツ丼小僧
「ですから、仕事は、選んでいるゆとりはないと、……… 」
デヴィ夫人
「本当に、節操のない方ですからね、この方、……… 」
武田鉄矢
「健さんの苦悩などは、当時の僕には、計り知れませんでしたが、
「幸福の黄色いハンカチ」に出たころの健さんは、
役者として、これからどう生きていくか、必死に模索していたんですよね、
あとになって、健さんの付き人の方に聞いたんですが、
健さんは、撮影前には、「失敗したら、俺は、タクシー・ドライバーになる、」
と、宣言していたそうです、……… 」
中島貞夫
「そこまで思い詰めていたとは、……… ストイックな健さんらしい、……… 」
武田鉄矢
「しかも、この話には続きがありまして、健さんの言葉に驚いた付き人の方が、
「健さんがドライバーになったら、お客さんが驚いてしまって、迷惑ですよ、」
と、冗談めかして言ったら、健さんは真に受けて、
「そうか、無理か、…… 」と言って、落ち込んでしまったとか、……… 」
一同
「わははははは、……… 」
中島貞夫
「若い頃から、真面目で、一本気な男でしたからねぇ、………
その性格は、ずっと変わらなかった、………
いや、年齢を重ねるに連れ、研ぎ澄まされて行った気がします、……… 」
カツ丼小僧
「はい、それでは、今日の座談会は、ここまでとします、………
しかし、生前も、死んだ後も、誰も、高倉健さんの悪口を言う人はいませんね、
余程、万人から親しまれ、愛されたキャラクターだったんでしょう、………
それでは、どなたか、いつもの最後の一言を、お願いします、……… 」
市川海老蔵
「歌舞伎役者と任侠俳優、ジャンルこそ違うけど、同じ演じる者として、
健さんには、深い魅力を感じます、……… 」
小林麻央
「海老蔵さんっ、……私にも、魅力を感じてっ、」
ビートたけし
「健さんには、理屈はいらないんだ、………
健さんは、存在自体が素晴らしいんだからさ、………
こういうのは、もう演技力がどうとか、そういう問題じゃないんだよ、………
健さんは、全てを超越しているんだ、………
でも、本当の事を言うと、おいらの「アウトレイジ」にも、
出演してもらいたかったなぁ、……… 」
ビートきよし
「あっ、その映画なら、俺も出たかった、………小遣い稼ぎに、……… 」
一同
「わははははは、……… 」
皇太子妃・雅子様
「ぶひっ、ぶひっ、……… 」
黒咲蘭
「お前は、アメでも、しゃぶってな、……… 」