カツ丼小僧と有名人のドスケベ座談会 159

カツ丼小僧

「では、今日も、昨日の続き、………

 懐かしの歌番組、「レッツゴーヤング」を語ります、………

 では、郁恵さん、お願いします、……… 」

 

郷ひろみ

「ゴー、ゴー、」

 

榊原郁恵

「あんな広いステージで、細かいギャグをやっても、

 ウケているのかどうかすらもわからない、………

 しかも、時間通りにやらないとダメだから、アドリブはNG、………

 

 どんな台本でも、そのままやらなくちゃいけなかった、

 恥ずかしかったなぁ、……… 」

 

太川陽介

「子供役は、沢田研二さんや、布施明さんといった、ベテランの方々で、

 僕たちのレベルが高いとは言えないコントに付き合って、

 ちゃんと笑いをとってくれました、………

 

 当時のディレクターたちは、全員音楽には長けていたけれど、

 正直、コントのセンスはなかったなぁ、……… 」

 

西城秀樹

「そう、俺たち、アイドル陣の方が、笑いのセンスは、よっぽどあった、………

 さいじょ~~~~~~~、………おでき、……… 」

 

野口五郎

「わははははは、……… そう、そう、尻を手で押さえながら、……… 」

 

下川純弘

「そうはおっしゃいますが、あれもちゃんと狙いがあったんですよ、………

 ローティーンや、ミドルティーンに、少しでも、親しみやすさを感じて貰いたい、

 だから、あえてバカをやってもらった訳です、……… 」

 

榊原郁恵

「コントのほかに、サンデーズやゲストが、最新の洋楽曲に

 チャレンジするコーナーもありました、」

 

下川純弘

「若い子たちが、未熟なりに、

 本物にガッチリ取り組んでいる姿を見せたかったんです、………

 ただし、最初から、そうしたスタイルが定まっていた訳ではありません、

 

 スタートから3年は手探り状態、………

 サンデーズは、まだなく、既成のタレントさんを起用し、

 その人気に頼りながら、

 番組のターゲットである、ローティーンの思考を探っていきました、」

 

田村正和

「え~~、物事には、何事も「始まり」というものがありまして、

 その、混沌とした状態の中から、徐々に、事物が育まれていくという訳でして、

 ……………… 一朝一夕に出来上がるという訳には参りません、ハイ、」

 

松坂慶子

「田村さんって、どうでもいい事を、最もらしく言う事が、

 本当に、お上手ですのね、……… 」

 

田村正和

「ん~~~ふふふふ~~~~~、

 松坂さん、………お褒めに預かりまして、光栄でございますぅ~~~~、

 ん~~~~ふふふふ~~~~~~♡、」

 

大橋巨泉

「田村、………お前、喋りに心が入ってないよ、心が、……… 」

 

江本孟紀

「わははははは、……… 」

 

太川陽介

「フォーリーブスや、ずうとるび、小坂明子さんなどが、

 歌のレギュラーとして出演されていましたね、……… 」

 

下川純弘

「はい、そして3年目にレギュラーとなったのが、

 当時、売り出し中だった、キャンディーズです、………

 

 キャンディーズは、デビュー前に、「歌のゴールデンステージ」で、

 マイクなど選んだりする、アシスタントをやっていたので、

 以前から知っていましたが、

 

 レギュラーになった頃から、人気がグングン急上昇、………

 それに併せて、番組もようやく、上昇気流に乗りました、……… 」

 

伊藤蘭

「わ~~~、 私たち、番組の上昇に貢献したんだ~~~、」

 

カツ丼小僧

「ランちゃん、……僕のフニャチ○ポの上昇にも、貢献してくれませんか、? 」

 

浅香唯

「…………… 私、最近、カツ丼さんの言う、ギャグの予測がついちゃうの、………

 なんか、恐いわ、……… 」

 

下川純弘

「'77年、大人の司会者として、作曲家の都倉俊一さんを起用しました、………

 

 その年の7月に、キャンディーズが、突如解散宣言、………

 その代わりに、サンデーズとして、太川陽介さんを始め、

 新人の子たちを入れて、若者らしさを出していこうとしたわけです、

 

 その後、メイン司会は、平尾昌晃さん、そして、太川陽介さん、と、

 変わっていきましたが、司会+サンデーズという形が定着、………

 「レッツゴーヤング」の最盛期を迎えました、」

 

太川陽介

「サンデーズは、グループを組んではいたけど、

 いい意味で、みんな、ライバルでした、……… 

 

 男女であっても、それは同じ、………

 郁恵ちゃんも、同じ時期のデビューだったから、

 ずっと、ライバルだったよね、……… 」

 

榊原郁恵

「そうね、仲間と言いながら、

 しっかり、ライバル意識は、持っていたような気がする、………

 それだけに、この番組での、お客さんの反応は、すごく気になりました、

 

 私が司会をやらせてもらったのは、1年間で、

 その後は、ゲストとして出演する立場に変わりましたが、

 自分が紹介された時の歓声が、微妙に変わっていくんです、」

 

カツ丼小僧

「思い切って、その場で脱いで、スッポンポンにでもなれば、

 空前絶後の、大歓声になると思うのですが、………

 それとも、会場内が、一斉に静まり返るか、………

 どちらかでしょうなぁ、………… 」

 

榊原郁恵

「カ、カツ丼さん、………へ、変な事、言わないでくださいよ、………

 で、でも、一遍、やってみたい気もするわ、……… 」

 

一同

「えっ、………? 」

 

太川陽介

「あの番組は、ぼくらにとって、人気のバロメーター、

 

 僕も、サンデーズ時代に、「 LuiーLui 」がヒットした後、

 人気が低迷していくのを肌で感じました、………

 

 本番前に、お客さんに挨拶するんだけど、

 毎週、歓声が減っていくのがわかるんだよね、………

 

 それが、ものすごく怖くて、

 月曜日が来るのが、嫌で仕方なかった時期もありました、……… 」

 

中村玉緒

「魔の月曜日だったという訳ですな、………

 トラウマにならなくて、良かったですな、ぬほほほほ、……… 」

 

カツ丼小僧

「はい、それでは、今日は、これで時間です、………

 お開きということに、………

 それでは、皆さん、最後の一言を、お願いします、……… 」

 

 

野村克也

「ワシは、背番号には、強くこだわったんや、………

 

 現役時代は「19」、監督時代は「73」(ヤクルト、阪神)、

 「82」(阪神)、そして再び「19」(楽天)、や、………

 

 一の位と十の位を足すと、全てが「10」になるんや、………

 それが、ワシのこだわりや、……… 」

 

徳光和夫

「ID野球の創始者が、ジンクスを気にするなんて、

 おかしいんじゃないですかね、野村さん、……… 」

 

長嶋茂雄

「私の、第1次監督時代の、背番号は「90」です、

 これは「ナインの輪(0)」という、息子の一茂のアイデアなんです、」

 

長嶋一茂

「おやじ、……… 自慢にしてくれて、ありがとう、………

 親父の老後の面倒は、必ず、俺が見るから、……… 」

 

王貞治

「僕の、ダイエー監督時の背番号は、単純なゴロ合わせ、………

 野球が好きだから、「89」(やきゅう)にしたんだ、………

 

 あと、親分、大沢啓二さんが、

 日ハム監督時代に選んだ背番号は、「86」(ハム)なんだ、………

 

 背番号にまつわる逸話、……本当に面白いね、………

 君も、カツ丼小僧のブログを読んで、「背番号逸話」の、

 ものしりホームラン王になろう、……… 」

 

小池栄子

「情報提供は、「週刊現代」、講談社でした~~~、 」

 

カツ丼小僧

「あっ、栄子ちゃん、……それを言っちゃ、だめっ、……… 」

 

米倉涼子

「あはははははっ、……… 」