カツ丼小僧
「では、今日も、昨日の続き、………
懐かしの歌番組、「レッツゴーヤング」を語ります、………
では、郁恵さん、お願いします、……… 」
郷ひろみ
「ゴー、ゴー、」
榊原郁恵
「あんな広いステージで、細かいギャグをやっても、
ウケているのかどうかすらもわからない、………
しかも、時間通りにやらないとダメだから、アドリブはNG、………
どんな台本でも、そのままやらなくちゃいけなかった、
恥ずかしかったなぁ、……… 」
太川陽介
「子供役は、沢田研二さんや、布施明さんといった、ベテランの方々で、
僕たちのレベルが高いとは言えないコントに付き合って、
ちゃんと笑いをとってくれました、………
当時のディレクターたちは、全員音楽には長けていたけれど、
正直、コントのセンスはなかったなぁ、……… 」
西城秀樹
「そう、俺たち、アイドル陣の方が、笑いのセンスは、よっぽどあった、………
さいじょ~~~~~~~、………おでき、……… 」
野口五郎
「わははははは、……… そう、そう、尻を手で押さえながら、……… 」
下川純弘
「そうはおっしゃいますが、あれもちゃんと狙いがあったんですよ、………
ローティーンや、ミドルティーンに、少しでも、親しみやすさを感じて貰いたい、
だから、あえてバカをやってもらった訳です、……… 」
榊原郁恵
「コントのほかに、サンデーズやゲストが、最新の洋楽曲に
チャレンジするコーナーもありました、」
下川純弘
「若い子たちが、未熟なりに、
本物にガッチリ取り組んでいる姿を見せたかったんです、………
ただし、最初から、そうしたスタイルが定まっていた訳ではありません、
スタートから3年は手探り状態、………
サンデーズは、まだなく、既成のタレントさんを起用し、
その人気に頼りながら、
番組のターゲットである、ローティーンの思考を探っていきました、」
田村正和
「え~~、物事には、何事も「始まり」というものがありまして、
その、混沌とした状態の中から、徐々に、事物が育まれていくという訳でして、
……………… 一朝一夕に出来上がるという訳には参りません、ハイ、」
松坂慶子
「田村さんって、どうでもいい事を、最もらしく言う事が、
本当に、お上手ですのね、……… 」
田村正和
「ん~~~ふふふふ~~~~~、
松坂さん、………お褒めに預かりまして、光栄でございますぅ~~~~、
ん~~~~ふふふふ~~~~~~♡、」
大橋巨泉
「田村、………お前、喋りに心が入ってないよ、心が、……… 」
江本孟紀
「わははははは、……… 」
太川陽介
「フォーリーブスや、ずうとるび、小坂明子さんなどが、
歌のレギュラーとして出演されていましたね、……… 」
下川純弘
「はい、そして3年目にレギュラーとなったのが、
当時、売り出し中だった、キャンディーズです、………
キャンディーズは、デビュー前に、「歌のゴールデンステージ」で、
マイクなど選んだりする、アシスタントをやっていたので、
以前から知っていましたが、
レギュラーになった頃から、人気がグングン急上昇、………
それに併せて、番組もようやく、上昇気流に乗りました、……… 」
伊藤蘭
「わ~~~、 私たち、番組の上昇に貢献したんだ~~~、」
カツ丼小僧
「ランちゃん、……僕のフニャチ○ポの上昇にも、貢献してくれませんか、? 」
浅香唯
「…………… 私、最近、カツ丼さんの言う、ギャグの予測がついちゃうの、………
なんか、恐いわ、……… 」
下川純弘
「'77年、大人の司会者として、作曲家の都倉俊一さんを起用しました、………
その年の7月に、キャンディーズが、突如解散宣言、………
その代わりに、サンデーズとして、太川陽介さんを始め、
新人の子たちを入れて、若者らしさを出していこうとしたわけです、
その後、メイン司会は、平尾昌晃さん、そして、太川陽介さん、と、
変わっていきましたが、司会+サンデーズという形が定着、………
「レッツゴーヤング」の最盛期を迎えました、」
太川陽介
「サンデーズは、グループを組んではいたけど、
いい意味で、みんな、ライバルでした、………
男女であっても、それは同じ、………
郁恵ちゃんも、同じ時期のデビューだったから、
ずっと、ライバルだったよね、……… 」
榊原郁恵
「そうね、仲間と言いながら、
しっかり、ライバル意識は、持っていたような気がする、………
それだけに、この番組での、お客さんの反応は、すごく気になりました、
私が司会をやらせてもらったのは、1年間で、
その後は、ゲストとして出演する立場に変わりましたが、
自分が紹介された時の歓声が、微妙に変わっていくんです、」
カツ丼小僧
「思い切って、その場で脱いで、スッポンポンにでもなれば、
空前絶後の、大歓声になると思うのですが、………
それとも、会場内が、一斉に静まり返るか、………
どちらかでしょうなぁ、………… 」
榊原郁恵
「カ、カツ丼さん、………へ、変な事、言わないでくださいよ、………
で、でも、一遍、やってみたい気もするわ、……… 」
一同
「えっ、………? 」
太川陽介
「あの番組は、ぼくらにとって、人気のバロメーター、
僕も、サンデーズ時代に、「 LuiーLui 」がヒットした後、
人気が低迷していくのを肌で感じました、………
本番前に、お客さんに挨拶するんだけど、
毎週、歓声が減っていくのがわかるんだよね、………
それが、ものすごく怖くて、
月曜日が来るのが、嫌で仕方なかった時期もありました、……… 」
中村玉緒
「魔の月曜日だったという訳ですな、………
トラウマにならなくて、良かったですな、ぬほほほほ、……… 」
カツ丼小僧
「はい、それでは、今日は、これで時間です、………
お開きということに、………
それでは、皆さん、最後の一言を、お願いします、……… 」
野村克也
「ワシは、背番号には、強くこだわったんや、………
現役時代は「19」、監督時代は「73」(ヤクルト、阪神)、
「82」(阪神)、そして再び「19」(楽天)、や、………
一の位と十の位を足すと、全てが「10」になるんや、………
それが、ワシのこだわりや、……… 」
徳光和夫
「ID野球の創始者が、ジンクスを気にするなんて、
おかしいんじゃないですかね、野村さん、……… 」
長嶋茂雄
「私の、第1次監督時代の、背番号は「90」です、
これは「ナインの輪(0)」という、息子の一茂のアイデアなんです、」
長嶋一茂
「おやじ、……… 自慢にしてくれて、ありがとう、………
親父の老後の面倒は、必ず、俺が見るから、……… 」
王貞治
「僕の、ダイエー監督時の背番号は、単純なゴロ合わせ、………
野球が好きだから、「89」(やきゅう)にしたんだ、………
あと、親分、大沢啓二さんが、
日ハム監督時代に選んだ背番号は、「86」(ハム)なんだ、………
背番号にまつわる逸話、……本当に面白いね、………
君も、カツ丼小僧のブログを読んで、「背番号逸話」の、
ものしりホームラン王になろう、……… 」
小池栄子
「情報提供は、「週刊現代」、講談社でした~~~、 」
カツ丼小僧
「あっ、栄子ちゃん、……それを言っちゃ、だめっ、……… 」
米倉涼子
「あはははははっ、……… 」