カツ丼小僧と有名人のドスケベ座談会 34

カツ丼小僧

「まぁ、週刊現代の記事通り、話を進めていきますとね、

 高島さんの芸能界デビューは、25歳と随分遅く、高校時代は、バイトなどをして、

 小遣いを稼いでいた、ということですが、本当ですか? 」

 

高島礼子

「記事に嘘など書く訳ないでしょう、本当です、」

 

カツ丼小僧

「そうでしょうね、……… すいません、

 いえね、僕には、そもそも、働く、などという意志そのものがないもんでして、

 僕の高校時代にも、ハンバーガー屋なんかでバイトしていた奴なんかもいましたが、

 ちょっと、自分には考えられませんでしたね、………

 そう言う人は、何か、自分から見て、別世界の人間のように感じていました、」

 

高島礼子

「父親がね、小遣いを与えてくれなかったので、それに反発してアルバイトを

 するようになったんですよ、 16歳で原付バイクの免許を取得して、

 行動範囲が広がるのと共に、活動的になって、社会人並みに稼いでいました、」

 

高知東生

「さすが、礼子、立派、立派、」

 

カツ丼小僧

「僕、周りの景色を見ながら、スタスタと早足で歩くのが好きなんで、

 バイクや車に乗りたいなどとも思いませんでした、

 23歳の時、嫌々、車の免許を取りましたが、一度も運転していません、

 

 もし運転していたら、まず確実に事故ってます、……… 

 車の免許証は、身分証明書代わりに仕えますので、それだけがメリットです、」

 

大橋巨泉

「わははははははは、」

 

高島礼子

「高校卒業後は、日産の子会社でOLとして働き始めました、

 自動車が好きで選んだ職場なんですけど、……… 楽しかったわ、……… 」

 

カツ丼小僧

「僕は、高校卒業後、大学受験に失敗し、荒れ狂った浪人時代に突入しました、

 その時代、ポルノ映画館にも、足繁く、頻繁に通いました、

 中でも、好きだった女優さんは、泉じゅんさんです、

 

 主演代表作には、「天使のはらわた 赤い淫画」、等があります、

 ごっつう美人で、ええ体、してはりましたなぁ、………

 今でも、その透き通るような白い肌、目に焼きついとります、……… 」

 

大橋巨泉

「わははははははは、うわははははははははは、」

 

高島礼子

「カツ丼さん、さっきから、私の話を混ぜっかえしてばかりいないで、

 まともに聞いてくださいよ、……… 」

 

カツ丼小僧

「すいません、すいません、どうも、癖なんです、

 こういう事、いつも言ってないと、なんか、気が治まらないんです、

 猿の脳味噌です、許してください、」

 

大橋巨泉

「わははははは、うわはははははは、………面白い、面白い、」

 今度、この事を、俺のコラム、「今週の遺言」に書こう、……… わははははは、」

 

 

  ここで大橋巨泉は、あまりに大笑いしすぎて、体を後ろにのけぞらせ、

  後頭部を後ろの壁に打ち付け、気絶してしまった、

 

高島礼子

「私が人生の大きなターニングポイントを迎えたのは、ちょうど20の時、

 母が病死してしまったんです、………それで、父の為にも、職場を離れて、

 家で家事をする事になったんです、」

 

高知東生

「さすが、礼子、俺の惚れ込んだだけの女ではあるな、偉いぞ、……… 」

 

廣瀬浩志

「そんな事言うなら、俺の麻理子だって偉い、」

 

高内春彦

「お、俺の慶子だって、……… 」

 

カツ丼小僧

「……… あ、あんたたち、こんな所で、張り合ってどうするんです、……… 」

 

高島礼子

「それで、家事だけでは暇を持て余しちゃって、

 21歳の時、国内A級ライセンスを取得したんですよ、

 やがて、富士スピードウェイなどで、レースに参戦するようになったんです、

 

 でも、レースって、メンテナンス代だとか、その他、結構、お金が掛かるんですよ、

 OL時代に結構蓄えていた貯金が、アッと言う間に無くなっちゃったんです、

 あらまぁ、どうしましょう、って事になって、……… 」

 

カツ丼小僧

「あらまっちゃん、……でべそが、宙返り、………ですか?

 あっ、すいません、また、やっちゃった、……… 」

 

高島礼子

「そんな時、サーキットで知り合ったプレスの方から、

 レースクィーンを一般公募しているという情報を得たんです、

 そしてね、それを試しに受けたら、受かっちゃったんですよ、

 

 当時はバブルの絶頂期ですからね、1日で9万円近くも貰える上に、

 予選を含めて、週に3~4日は働いていましたね、

 

 ところが、問題があって、キャンペーンガールは、

 レースへの参戦を禁じられていたんです、

 そんな内に、レースに参戦する体力や精神力が衰えてきてしまって、……… 」

 

カツ丼小僧

「それで、金権芸能界、ゴーマニズムの道へは、

 どのようにして、入って行ったんですか………?

 あっ、また、やっちゃった、……… 何も知らない癖に、すいません、

 口の動きが止まりません、礼子様、何とかしてください、」

 

高島礼子

「ふふふ、……… 今度言ったら、シバくわよ、………

 そのうち、知り合いに誘われるまま、モデル事務所に所属し、

 色々なオーディションを受けてみるようになって、

 

 1988年(昭和63年)、「とらばーゆ」のCMへの出演が決まって、

 それを、ご覧になった松平健さんが、「暴れん坊将軍」のスタッフに、

 私を起用したらどうかと、持ちかけてくださったんです、」

 

カツ丼小僧

「健さんのアソコは、暴れん坊でしたか、………? 」

 

高島礼子

「あ~~~~~っ、 もう、やめて、カツ丼さんが、あんまり茶化すから、

 私、なんか、ちょっと、疲れちゃったわ、………

 それに、私、健さんを尊敬しているのよ、そんな言い方、やめて頂戴、……… 」 

 

 喉が渇いたわ、……… ちょっと、一息入れたいの、

 梅サワーに、レモン酎ハイ、どんどん持って来て、……… 」

 

カツ丼小僧

「礼子さんのアソコに注いで、それを僕に飲ませてください、……… 」