カツ丼小僧
「まぁ、週刊現代の記事通り、話を進めていきますとね、
高島さんの芸能界デビューは、25歳と随分遅く、高校時代は、バイトなどをして、
小遣いを稼いでいた、ということですが、本当ですか? 」
高島礼子
「記事に嘘など書く訳ないでしょう、本当です、」
カツ丼小僧
「そうでしょうね、……… すいません、
いえね、僕には、そもそも、働く、などという意志そのものがないもんでして、
僕の高校時代にも、ハンバーガー屋なんかでバイトしていた奴なんかもいましたが、
ちょっと、自分には考えられませんでしたね、………
そう言う人は、何か、自分から見て、別世界の人間のように感じていました、」
高島礼子
「父親がね、小遣いを与えてくれなかったので、それに反発してアルバイトを
するようになったんですよ、 16歳で原付バイクの免許を取得して、
行動範囲が広がるのと共に、活動的になって、社会人並みに稼いでいました、」
高知東生
「さすが、礼子、立派、立派、」
カツ丼小僧
「僕、周りの景色を見ながら、スタスタと早足で歩くのが好きなんで、
バイクや車に乗りたいなどとも思いませんでした、
23歳の時、嫌々、車の免許を取りましたが、一度も運転していません、
もし運転していたら、まず確実に事故ってます、………
車の免許証は、身分証明書代わりに仕えますので、それだけがメリットです、」
大橋巨泉
「わははははははは、」
高島礼子
「高校卒業後は、日産の子会社でOLとして働き始めました、
自動車が好きで選んだ職場なんですけど、……… 楽しかったわ、……… 」
カツ丼小僧
「僕は、高校卒業後、大学受験に失敗し、荒れ狂った浪人時代に突入しました、
その時代、ポルノ映画館にも、足繁く、頻繁に通いました、
中でも、好きだった女優さんは、泉じゅんさんです、
主演代表作には、「天使のはらわた 赤い淫画」、等があります、
ごっつう美人で、ええ体、してはりましたなぁ、………
今でも、その透き通るような白い肌、目に焼きついとります、……… 」
大橋巨泉
「わははははははは、うわははははははははは、」
高島礼子
「カツ丼さん、さっきから、私の話を混ぜっかえしてばかりいないで、
まともに聞いてくださいよ、……… 」
カツ丼小僧
「すいません、すいません、どうも、癖なんです、
こういう事、いつも言ってないと、なんか、気が治まらないんです、
猿の脳味噌です、許してください、」
大橋巨泉
「わははははは、うわはははははは、………面白い、面白い、」
今度、この事を、俺のコラム、「今週の遺言」に書こう、……… わははははは、」
ここで大橋巨泉は、あまりに大笑いしすぎて、体を後ろにのけぞらせ、
後頭部を後ろの壁に打ち付け、気絶してしまった、
高島礼子
「私が人生の大きなターニングポイントを迎えたのは、ちょうど20の時、
母が病死してしまったんです、………それで、父の為にも、職場を離れて、
家で家事をする事になったんです、」
高知東生
「さすが、礼子、俺の惚れ込んだだけの女ではあるな、偉いぞ、……… 」
廣瀬浩志
「そんな事言うなら、俺の麻理子だって偉い、」
高内春彦
「お、俺の慶子だって、……… 」
カツ丼小僧
「……… あ、あんたたち、こんな所で、張り合ってどうするんです、……… 」
高島礼子
「それで、家事だけでは暇を持て余しちゃって、
21歳の時、国内A級ライセンスを取得したんですよ、
やがて、富士スピードウェイなどで、レースに参戦するようになったんです、
でも、レースって、メンテナンス代だとか、その他、結構、お金が掛かるんですよ、
OL時代に結構蓄えていた貯金が、アッと言う間に無くなっちゃったんです、
あらまぁ、どうしましょう、って事になって、……… 」
カツ丼小僧
「あらまっちゃん、……でべそが、宙返り、………ですか?
あっ、すいません、また、やっちゃった、……… 」
高島礼子
「そんな時、サーキットで知り合ったプレスの方から、
レースクィーンを一般公募しているという情報を得たんです、
そしてね、それを試しに受けたら、受かっちゃったんですよ、
当時はバブルの絶頂期ですからね、1日で9万円近くも貰える上に、
予選を含めて、週に3~4日は働いていましたね、
ところが、問題があって、キャンペーンガールは、
レースへの参戦を禁じられていたんです、
そんな内に、レースに参戦する体力や精神力が衰えてきてしまって、……… 」
カツ丼小僧
「それで、金権芸能界、ゴーマニズムの道へは、
どのようにして、入って行ったんですか………?
あっ、また、やっちゃった、……… 何も知らない癖に、すいません、
口の動きが止まりません、礼子様、何とかしてください、」
高島礼子
「ふふふ、……… 今度言ったら、シバくわよ、………
そのうち、知り合いに誘われるまま、モデル事務所に所属し、
色々なオーディションを受けてみるようになって、
1988年(昭和63年)、「とらばーゆ」のCMへの出演が決まって、
それを、ご覧になった松平健さんが、「暴れん坊将軍」のスタッフに、
私を起用したらどうかと、持ちかけてくださったんです、」
カツ丼小僧
「健さんのアソコは、暴れん坊でしたか、………? 」
高島礼子
「あ~~~~~っ、 もう、やめて、カツ丼さんが、あんまり茶化すから、
私、なんか、ちょっと、疲れちゃったわ、………
それに、私、健さんを尊敬しているのよ、そんな言い方、やめて頂戴、……… 」
喉が渇いたわ、……… ちょっと、一息入れたいの、
梅サワーに、レモン酎ハイ、どんどん持って来て、……… 」
カツ丼小僧
「礼子さんのアソコに注いで、それを僕に飲ませてください、……… 」