カツ丼小僧と有名人のドスケベ座談会 33

カツ丼小僧

「高島さん、同じ横浜出身という事で、前々から目を付けておりました、

 今日は、本当に、宜しくお願いします、」

 

高島礼子

「いえいえ、こちらこそ、宜しくお願いします、

 カツ丼小僧さんとは、今回が初めてですわね、

 今日という日が来るのを楽しみにしていましたのよ、……… 」

 

高知東生

「おいおい、お前、目を付けておりましたって、

 まさか、俺の礼子に手を出すつもりなんじゃねぇだろうな、

 もし、そんな事をしたら、ただじゃおかねえぞ、」

 

カツ丼小僧

「東生(のぼる)さん、そんな事、あるわけないでしょう、

 これでも、最低限の常識は心得ているつもりですよ、失礼な、……… 」

 

高知東生

「いやいや、お前なんか、信用できるかよ、

 みんな、お前の事、陰でなんて言っているのか知ってるのかい?

 節操のない、色キ○ガイだって、………猿のマス掻き小僧だって、……… 」

 

大橋巨泉

「わははははははは、うわはははははははは、……… 」

 

廣瀬浩志

「そうだよ、現に俺の麻理子にだって、手を出している訳だし、……… 」

 

高内春彦

「慶子にだって、……… うう、 渡哲也よりも強敵だ、……… 」

 

カツ丼小僧

「いえいえ、皆さん、今日はですね、実は今週号の週刊現代に、

 高島礼子さんの記事が掲載されていましたので、

 その事ついて、語ろうと思ったんです、」

 

廣瀬浩志

「なんだ、また週刊現代かよ、……… お前、講談社の回し者かよ、……… 」

 

カツ丼小僧

「いえいえ、そうではありません、そんな大物ではありません、………

 で、この記事によりますとね、

 まず、しょっぱなから、「横浜市港南区の実家」、とありましてね、

 高島さんは、ここで子供時代を過ごしたそうで、………

 でも、横浜市港南区と言えば、実は僕の実家のある所なんです、」

 

高島礼子

「えっ? そうなんですか? 「港南区」、まで一緒? 」

 

カツ丼小僧

「ええ、それでね、僕たち家族が、千葉から横浜の方へ越して来たのは、

 僕が中学3年の2学期なんですよ、つまり、昭和53年(1978年)の秋、です、

 高島さんは、僕より、学年が1つ下ですので、当時、中学2年です、」

 

高知東生

「俺は、礼子とは、学年も一緒だぜ、 ひっひっひっ、

 いや、もちろん、出身地も高校も違うけどさ、……… 」

 

カツ丼小僧

「それでね、ここには、高島さんは、神奈川県立野庭(のば)高等学校へ進学、

 と、ありますがね、実は、僕より学年が2つ下の弟が、野庭高校なんです、

 ですから、高島さんより1年後輩で、

 2年間、同じ校舎内で過ごしていた事になりますね、……… 」

 

高島礼子

「ふ~~ん、そうなんですかぁ、弟さんがねぇ~~、

 そんなら、校舎内のどこかで、すれ違ったりしていたかもしれませんね~~~、

 で、カツ丼さんは、どこの高校だったんですか? 教えてください、」

 

カツ丼小僧

「いえ、僕は頭が悪くて、野庭高校は到底無理だったんですがね、………

 もっと偏差値の低い所です、 ここでは言えませんが、……… 

 不良高校で、当時の事を思い出すと、いつも気が滅入ります、」

 

高島礼子

「でも、野庭高校ってもう、無くなっちゃったんですってね、がっかりだわ、……… 

 母校が無くなるのって、ホント、寂しい物よ、……… 」

 

カツ丼小僧

「ええ、2003年に他校と合併して、横浜南陵高校と名前を変えました、

 所在地も、少し変わっています、」

 

高知東生

「おいおい、さっきから、2人で、こそこそ内輪話ばっかりしているけどさ、

 もっと、誰にでもわかる、面白い話題にしてくれよ、退屈しちゃうよ、……… 」

 

カツ丼小僧

「ええ、わかっています、明日から仕切り直して、また、………

 少し長くなるかな、……… ふふふ、……… 」