それでは、カツ丼小僧さん、前回の話の続きをお願いします、
ええ、まず前提として、人間の人生の幸福というのは、
「不幸の中の幸運」、という形でしか、あり得ないんだ、という事です、
まず、それを知らねばなりません、
特に、一般的には、人生の前半は、辛い事や待ち時間が多く、
人生の後半時期に差し掛かるに連れ、自分の願い事や夢が、
段々と叶ったりしてくるのです、
とにかく若い時っていうのは、まだまだ、ボーーッ、とした感じで、
覚醒前、と言った感じで、心にもゆとりなんかがあるからダメなんです、
そんな、若い時期特有の心のゆとりなんていう物は、早く失くしちまった方がいい、
というのが、僕の考えです、
そういった、心の余裕、大らかさ、という物は、確かに、他人から見れば、
好感を得るんでしょうが、自分の人生を、本気で楽しみたい、謳歌したい、
充実させたい、と思うんでしたら、そのような余分な物は
早く捨ててしまった方がいいのです、
とにかく、早く、切羽詰った状態に、自分の身を置く事です、
何もかも、奪い取られ、はぎ取られ、
もう、逃げ道など、何処にもない、という状態にまで追い詰められる事です、
もちろん、自分の意志の有無にかかわらず、恐らく、放っておいても、
神が、殆どの人間の人生を、そっちの方向に持って行くと思います、………
周りから、痛めつけられ、疎外され、無視され、蔑まされたりして、
いや、そうでなくとも、大病や大怪我にあったり、その他、親の死であったりとか、
散々、辛い思いを経験する事になりますが、
それも、全ては神の仕組んだ、「良き罠」だと思い、
重々、自覚し、客観的になる事です、 まぁ、難しいでしょうが、………
つまり、本人の後半期の人生を、より、素晴らしく、中味の濃い物にするために、
ワザと、神が人間に若い内から試練を与えている、という事ですね、
ええ、前に、西城秀樹さんの所でも言いましたが、
「黒を知らない者には、白の白さがわからない、」という事です、
不幸と言う物は、そのためにある訳ですから、
その理屈を知れば、何度、何万回、生まれ変わっても、
当然、不幸は訪れるのです、
それに、叩かれれば叩かれる程に、段々と痛みを痛みと感じなくなる、
というのもあるんじゃないでしょうか?
ええ、そうです、とにかく人生の後半の幸福のために、
今の不運があり、自分への懲らしめがあるんだと、若い人達は思ってください、
それ故に、性格だって、徐々に徐々に研ぎ澄まされ、余分な事は考えないという
所まで、追い詰められ、覚醒されていくのです、
あなたには、もう、余分な物は、何もない、………
もう、目の前にある、残された、たった一つの物、……… それしかないのです、
でも、その残された、たった一つの小さな物、………
それが、大きな輝きを放つ、宝石のような物であるならば、………
でも、カツ丼さん、ちょっと言いたいんですが、何も、人生の喜びと言うのは、
歳を取ってからではなく、若い内にも、いっぱいあると思うんですが、………
いや、それはもちろん、そうですよ、
ただ、僕は、ここで若い人に、一つ苦言を呈しているのです、
とにかく、これからの人間の寿命は長くなるかもしれません、
もしかしたら、僕が死ぬのも100歳超えるのかもしれません、わかりません、
寿命が長いが故に怖いんです、そうです、僕がいつも言っている、因果応報です、
運の悪い人間は、死にたくとも死ぬ事が出来ないんだ、という事です、
生まれ変わりは当たり前ですから、死ぬ事自体は構いません、
昔のように、「人生、50年、」と言われている時代でしたら、
人生と言う物は、アッと言う間に過ぎ去ってしまう、
風のような物だったのかもしれませんが、今は、そうとも言えません、
これからの人生100年時代に、若い内から、因果応報と言う物を念頭に置き、
謙虚に、客観的に、自分を見据えて生きていかないと、
その、積もり積もった因果が、晩年まとまって自分に襲い掛かってくる事もあります、
ですから、もちろん、若い内に人生を謳歌し、楽しむ事も、もちろん結構ですが、
同時に、50歳過ぎの自分の未来像も考えて生きていかねばなりません、
常に、目標を持ち、自分の輝かしい未来を考えている事によって、
念の力は持続され、病気、事故、怪我、などの災厄から逃れられるでしょう、
ありがとうございました、では、この続きは、また次回、