どうでしょうか? カツ丼小僧さん、
このまま、しばらく、ミステリアス・ゾーンの話を続けますか?
そうですね、他に話す事もありませんし、このまま行きましょう、
それに、僕からすれば、どの話だって、同じような物です、
明確な区別など、ありません、
鎌さん、読者の興味の湧きそうな質問を振ってください、
カツ丼小僧さんは、自分の周りには、自分と似た人間が寄ってくる、
自分の周囲は、自分という人間を映し出す鏡である、と言っています、
つまり、「類は友を呼ぶ」という事ですが、
これもまた、「因果応報の原則」の一部、という事なのでしょうか?
そうですね、短気な人間の周りには、短気な人間が、
おっとりした人間の周りには、おっとりした人間が、周りに現れるのですが、
特に、夫婦だとか、家族、職場上の、特定のグループ、団体などは、
いつも行動を共にし、顔を突き合わせているのですから、非常によく似ています、
面白いのは、容姿や体格、考えまでも、似ています、
ですから、本当に嫌な人間が自分の目の前に現れても、それはつまり、
自分の一部、自分の分身、という訳で、そういう意味では因果応報です、
ただね、たまに会う人間というのは、あまり気にしてもしょうがないと思うんですよ、
嫌な人間、おかしな人間、とは言っても、一時の物ですからね、
そこまで、いちいち気にしていたら、まともに生活出来ないでしょうしね、………
問題なのは、いつも、長い間、自分の間近にいる人間ですよ、
やはりね、これだけは、しっかりしていてもらわなければ困るでしょう。
つまり、周りを、自分のいいように変えたければ、
自分が変わらなければダメだという訳ですね?
そうです、自分の周りは、自分を映しだしている鏡な訳ですから、
その対象である、自分が変わらなければ、周りも変わって来ないのです、
まぁ、今、不幸や災難の間っ只中にある人に、こういう事を言っても、
受け入れる、心のゆとりはないでしょうがね、………
ただ、一般的に、人の人生という物を見ますとね、
やはり、若い内は、泣き叫んだり、怒り狂ったり、不幸や災難の連続です。
そして、色々な体験をしていく内に、段々と、考えたり、思慮深くなり、
洗練されていって、自分も、大人しくなり、周りも、大人しくなって、
最後は、自分にとって、周囲が住み心地の良い世界に変貌していく、………
というパターンが殆んどですし、理想です、
つまり、「時間」という物の有意性、というのはそこにあると思うんです、
「人間は、人生の、嫌な所、悪い所、辛い所から、抜け出すようにして、
前の方に、つまり、未来へと進んで行って、後半は、桃源郷に到達して、安心を得る、」
という事になっているのです、 だってそうでしょう、
もし、若い内から、何もかも、人生が、うまく行ってしまったら、
ある意味、もう、そこで終わりじゃないですか、
悪い所から、良い所へと変わっていく所に、喜びや幸福、安堵がある訳ですから、………
そして、また生まれ変わって、同じ事を、最初から繰り返しているのです、
ですから、何億回、何千億回、何兆回、生まれ変わっても、
やはり、若い時は、苦しみの連続で、そこから抜け出すようにして、未来へと進み、
晩年は、極楽浄土、安心立命の境地を得る、という事になっているのです、
でも、カツ丼小僧さんは、確か、以前、
「人間の人生は、死ぬまでイバラ、」だと、言っていましたが、………
あれ? そんな事、言いましたっけ? いや、それは当然です、………
悩み事や、心配事などは、死ぬまで付き物です、それぐらいは覚悟しておいてください、
本当に、何も悩み事が無くなった時、それは、もう死ぬ間際の時ですよ、………