つまり、カツ丼小僧さんは、人間の運命は、実は、1から10まで、
全て決まっていて、立体映画の人生フィルムは、最初からセットされていて、
人間は、そのようにしか動けない、 全てが不可抗力で、どうにもならない、
と、そう、おっしゃる訳ですね?
そうです、いや、今回の人生どころか、恐らく、もう、
ずっと、ずっと、ずぅぅぅぅっと先の、生まれ変わりの人生まで決まっていて、
変える事が出来ない、 だから、僕の考えとして、死ぬこと自体は、別に
悪い事でも何でもない、という事でして、「死ぬ」という事は、
ただ、次の人生に移行する、というだけの事です、
カツ丼さんは、いつも、運の悪い人間は、死にたくとも、死ぬ事が出来ない、
と、言われていますが、これは、厳密に、どういう事なんでしょう?
つまりね、「因果応報の原則」という物が、この世には厳として、存在しているんですよ、
僕にとっては、「エネルギー保存の法則」や「万有引力の法則」以上に確かな物です、
人間は、因果の「果」をはらし終えるまでは死ねません、
まぁ、それは、いい事も、悪い事も、ひっくるめて、全てなんですが、
僕は、長年、人間を観察していて、それに気づいたんです。
問題なのは、何故神が、この世にそのような法則を作ったのか、という事ですが、
僕がわからないのは、それだけなんです、
僕は、本来、教条的な人間ではありませんので、本当の事を言えば、
そんな法則など、この世に存在してほしくない、もっと、この世が破天荒で
無慈悲であったなら、と思っていたいのです、
こんな法則が存在しているとなると、逆に言えば、自由勝手に、迂闊な行動は
とれなくなる、 人を殴ったりも、蹴飛ばしたりも、口汚く罵ったり
などという事も出来なくなる、
そんな事は、まぁ、確かに、しない方が賢明な生き方なんだとは、思いますが、
でも、絶対、やってはいけないと言われると、やはり窮屈ですよ、
ええ、………
でね、逆の方向から見てみると、殴った人間は、殴られるけども、
実は、殴られない人間は、殴る事も出来ない、という事です、
つまり、選択は、あなたの自由、という事です、
殴られてもいいから、殴りたい、という人もいるでしょう、
口汚く罵られてもいいから、人を罵りたい、という人もいると思います、
この因果の法則は、ごく冷徹に、そのプラスマイナスの総量が同じ、
というだけであって、道徳とか、教義とかには根ざしてはいないようなんです、
ただ、僕という人間は、非常に肝っ玉の小さい、臆病な人間ですので、
この、因果の法則を知ってしまった以上、殴られるのがいやだから、
人を殴らない、という考え、発想しか、浮かんで来ないのです、
ボクサーだって、そんな事を考えていては闘えないでしょうしね、
わかりました、では、この続きは、また次回、お願いします。