カツ丼小僧さんは、ご自身のプロフィールの中で、座右の銘として、
「天は自ら助くる者を助く」、「貧すれば鈍する」の2つのことわざを挙げていますが、
今日は、この事について、お尋ねしようと思います。
この2つのことわざを、座右の銘としている理由について、お聞かせください。
ええ、まず「天は自ら助くる者を助く」なんですが、
僕は、以前から何度も言っていますように、
この世の絶対の支配者である神の存在を信じています。
「神」とは、わかりやすく言えば魔法使いであり、何でも出来る存在です。
それは、本当に、とてつもない程の存在で、
今、我々が住んでいるこの世界を、一瞬にして消してしまえたり、
また、今、我々が住んでいるこの世界と同じ(似たような)世界を、
一瞬にして、幾らでも造る事の出来る存在です。
まぁ、また脱線しないように簡潔に話を進めますが、
まず自分は、その絶対の力に全てを委ねている、という事です。
そして、そのとてつもなく大きな存在というものは、なにか、向上的、改革的、
未来繁栄善良思考を有していて、上の方を見て生きている向上心のある人間に対して
非常に好意的で、それを後押ししてくれている存在であるので、
常に、大きな夢を持ち続けて、それに向かって邁進していると、
本人にも気づかない所で、神の大きなバックアップがあるんだよ、という事です。
全知全能、普遍である、魔法使いのような存在であるものに守られている、という思いは、
誰にとってもそうですが、特に僕のように、
いつも恐怖に怯えている気の小さな人間にとって、実に、切実な物です。
もし僕が、気の大きな、豪放磊落な性格として、
この世に生まれてきたら、恐らく、「神」という、とてつもない存在に頼ろう、
などと、思いもしなかったと思います。
今まで、これだけ神のご加護によって、自分が守られて来たのにも関わらず、
未だに、神に対して疑心暗鬼で、「いや、もしかしたら、最後に、大どんでん返しが
待ち構えていて、いつか、全てひっくり返されて、奈落の底へ突き落されるんじゃ
ないか、」という思いが常に頭にあるのです。
僕が、このような臆病な人間に生まれて来た事は必然の成り行きだったのかも知れません。
イラストを描く以外の能力が何もなかったのも、そのためだと思うんです。
臆病だから、…… 能力がないから、…… もう神様に頼る以外方法がなかったのです。
カツ丼小僧さんにとって、神の存在というのは、絶対の物であるようですが、
ご自身は、それにまつわる、何か神秘的な体験でもしたんですか?
ええ、その事については、ホームページの水木しげるさんのコーナーでも
書いた事があるんですが、ちょうど、20歳の時で、僕はその時、大学生だったんですが、
ちょっと、疾風怒濤というか、荒れに荒れ狂った時期がありまして、
美術部、数人の仲間たちとハイキングだか、ピクニックだか行った時に、
自暴自棄的な気持ちになって、高台で酒をがぶ飲みし、ぐでんぐでんの酩酊状態と
なり、大きく走り周って、崖の上から、そのまま、ピョーンと、
大ジャンプして、飛び降りた事があるんですよ。
もう、酔っぱらっていて、頭の中もおかしかったんですが、死んでもいいや、
という気持ちもあって、飛び降りたんです。
そしたら、空中で、何かふわっとした、暖かい毛布のような物にくるまれたような
感じがして、体がクルッと回転し、小さく丸まったんです。
それで、そのまま、ドサッと草むらのような所に投げ出され、
後は、美術部の仲間たちが、大勢して、こちらに駆け寄ってきて、
面白半分に服を脱がされそうになり、それに抵抗するのに必死で………。
それは、不思議な体験ですね、ちょっと、にわかには信じがたいですが、………
ええ、でも、僕の中では、その時の感覚は未だに実感として残っていまして、
それが、夢ではなく、現実の物であった証拠に、
後々、美術部の部員たちの間で、その事が囁かれていたからです。
「あいつは、崖から飛び降りて、何とも無かった、死ななかった。」ってね。
この体験は、後で何度でも思い返すようになって、段々と僕の自信になっていきました。
まるで神が「君には、まだやるべき事が残っている、死んではならない、
私が守ってあげるから、安心して漫画家の道を目指して行きなさい。」と、
言ってくれているような気分でした。
まぁ、それでも、結局は、漫画家の道は挫折したんですけれども、
今のような、また別の道が開けるようになりまして、
ありがたや、ありがたや、と、神様に感謝している次第なんです。
今でも、たまにね、思う時があるんですよ、
もし、今、高層ビルのてっぺんから、飛び降りても、また神のご加護があって、
また、その時のように、僕を助けてくれるんじゃないかってね。
いつの日か、実践してみようと………。
それは、おやめください。