皆さん、こんにちは、カツ丼小僧です。
いつも、ご愛読頂きありがとうございます。
今回のヒッチコックサスペンスは、
「私は告白する」(1953年)です。
弁護士殺しの犯人、ケラーから懺悔室で、
殺人の告白を受けた、神父マイケル。
マイケルは、ケラーをかばうために、
最後の最後まで、真実を警察や周りの者に
打ち明けられないでいた。
その、神父のあまりに、清廉潔白で、
優柔不断な性格に、周りが振り回され、
挙句の果てに、その他、2人の死者を
出してしまったという話です。
まぁ、誠実な人柄も、ここまで来ると、
殆どバカに近いと言う事でしょうか?
でもねえ、皆さん、もし仮にですよ、………(この映画の場合は他人ですが、)
もし、自分の肉親や、凄く懇意にしている友人に、
「自分は殺人を犯した、どうすればいいんだ、助けてくれ、」と、泣いてせがまれたら
どうしますか? やはり、説得して自首を勧めますか? 何か重たい話ですが……。(笑)
実際、その様な事がいきなり起きたら、頭が錯乱して気がおかしくなっちゃうでしょうね。
でも、自首を勧めなくちゃ、犯人隠避の罪で、自分だって、その時点で
犯罪者という事になってしまうんですからね、 これは重たい話ですよ、実に。
こういう場合は、犯人隠避とはいっても、幾らかは罪は軽減され、
情状酌量の余地もあるんでしょうか? 法律に疎い僕には、よくわかりませんが。
あと、この映画で、僕がもう一つ、提起したい問題は、
この神父は、結局、殺人の容疑者とされ、公判に附されてしまうのですが、
(自分が真犯人を知っていて、自分が殺人者にされても、その真犯人の
事をかばっているくらいのお人好しバカです。)(笑)
その裁判で確証がないため、
神父は、結局無罪の判決を受けるのですが、裁判が済んだ後でも、
この神父は、大衆から疑いの目を向けられ、罵声を浴びせられるのです。
本当に、切実に思うのですが、正直、ただ裁判に勝てばそれでお終い、それでいい、
という事は絶対にないのです。 覆水盆に返らず、という事です。
一度、警察に犯人扱いされたり、裁判で争うような羽目になったりしたら、
例え無罪を勝ち取ったとしても、もう、その事で、一生、周りから色々と不愉快な事を
言われ続けなくてはならないのです。
僕からすれば、これでは結局、裁判に勝った所で、あまり意味もないんじゃないか、
という事なんです。そりゃ、負けるよりは勝った方がいいに決まってますがね。
でも、一点のシミ一つなく、体から汚れを拭いだす事は、絶対に不可能なんです。
ですから、確たる証拠や目撃もなしに、安易に他人を警察に通報する、
などと言う事は絶対にやめた方がいいと思います。
それでも、警察が公平に、慎重に、捜査をしてくれればいいですけども、
僕の経験からは、そのような事はありませんで、一方的な捜査で、散々苛められました。
通報者のホテル責任者も、もし良心の呵責という物がありましたら、
もう一度、僕の前に姿を現し、本当の事を告白してください。
そうすれば、その証言内容と、僕とのツーショットの和解のスマイル写真を
このブログに掲載するつもりです。 よ、ろ、ぴ、く。(笑)