前回の続きです。発言の自由の問題ですが、テレビがこの世に誕生してから、
評論家の大宅壮一さんが、日本国民の「一億総白痴化」と評したように、
何か、こう、人間の頭の中が皆、同じように、シンプルに画一化されて来ましたね。
テレビのワイドショー、最近はあまり見なくなってしまったんですが、
以前は好きで、本当によく観ていました。(暇だったからなぁ………。)(笑)
でも、あの、ワイドショー番組の司会者だとか、ゲストのコメンテーターの人達、
いつも、決まって、ステレオタイプの紋切型で、お定まりの同じ事しか言いません。
いや、「言いません」というよりも、「言えない」んだと思います。
変な事を少しでも言うと、一部の視聴者や団体から、テレビ局に苦情が殺到するんで、
恐くて迂闊な事は何も言えないんじゃないかと思いますよ。
司会者やコメンテーターの意志には係わらず、あそこで喋る内容は最初から全て、
決まっている訳ですが、そこに幾らかの問題が生じて来ると思うのです。
例えば、以前、政治家の鈴木宗男(ムネオ)さんだとか、手鏡教授の植草一秀さんが、
法律に触れるような犯罪を犯すと、マスコミ一丸となって、本人に対して、
手の平を返したように、マシンガンのような、非難悪口の一斉射撃を
浴びせた事があったじゃないですか。
確かに、やった事は法律に触れた悪い事なんでしょうが、
しかし、だからといって、あれだけ一方的に、あの人達に対して、
一様に、何もかも全てが悪いんだとして、それに反対する者は全ておかしいんだ、
という方向に持って行ってしまっていいんでしょうか?
僕からしてみれば、それこそ、この世の一番の大罪であり、ファシズムですよ。
これこれ、こういった見方、こういう考え方があってもいいんじゃないか、
というのが、やはりないと、偏った思想に陥ってしまうんじゃないかと思うんですよ。
そういう意味で、まぁ、最近では、インターネット、そして、ブログや、
ツイッター、フェイスブックなどで、個々個人が、自由な立場で、
自由に意見を発表できるようになったのは、本当に喜ばしい事だと思います。
もう、意見を言えるのは、マスコミや、一部の識者や著名人、作家だけではありません。
誰もが皆、「一億総ご意見番」です。(笑)
でも、それだけにね、色々と分散してしまっていますからね。
そんな中で、自分が抜きんでて注目を浴びようとするのも、
それはそれで、結構大変でしょうね。(笑)
レベルは、数年前より一段と上がっていると思いますよ。