カツ丼小僧のミステリアス・ゾーン2 32

皆さん、こんにちは。 敵は作った方が面白い、カツ丼小僧です。

え~~、今回で、ミステリアス・ゾーンは、一旦終了します。

また、後々、第3弾、第4弾と、ぶちかますつもりでいますので、

皆さん、楽しみにしておいてください。

 

今回は、最後ですので、人間の人生にまつわる大切な話をします。

 

誰もが、自分の意志や能力で切り開いて行きたい、自分の人生………。

でも、もし、人生の立体映画のフィルムが最初から出来上がっていて、

それを、ただ、なぞっているだけだとしたら………。

 

もし、そうだとしたら、この世における全ての事が、不可抗力、

どうにもならない事であり、何が起こっても誰の責任でもないという事になります。

 

そう、殺人や戦争すらもです。

「もし(if)」がないのですから、人生ルートの選択の余地は残されていない訳です。

そのような視点から、人間の人生を見た場合、

今までとは、まったく違った観念(イデア)が生まれて来るのです。

 

第二次世界大戦の罪悪の責任を、全て独裁者ヒトラー、ただ一人に押し付けて、

自分たちは、その犠牲者だったのだと、それで済ませてしまっていいのでしょうか?

あの時代は、戦争や争い、決闘、人殺しなど、案外頻繁に起こっていて、

それが、ある程度は、当たり前の時代でもあったのです。

今のように、ちょっと、拳でこついただけで、「暴力だ ! !」と、

大騒ぎする時代では、まったくありませんでした。

 

ヒトラーという個人の人間の人生を見た場合、あれ程までの頂点に登り詰めた訳ですから、

その犠牲者の事を考えなければ、非常に素晴らしい人生を歩んだと言えるのです。

上(頂上)を見ながら、(その過程を楽しみながら、)

夢と希望に燃えて生きてこれたのですから………。

 

ただ、独ソ戦でのスターリングラードの敗退以降の、

最後の3年間は確かに辛かっただろうし、本人にしてみれば、地獄だったと思います。

 

ただ、僕の考えを率直に言わせてもらうなら、人生の最後など、どうでもいいのです。

最後は、もう死にたくなって、死んで行くんですよ。

それが、神の計らいというものです。

だって、もし、死ぬ間際にまで、いい思いをしていたなら、

いつまでも、この世に未練が残って、

死のうにも死ねない(死にたくない)じゃないですか。

 

ヒトラーも、ムッソリーニも、最後、あそこで死ねたから良かったのです。

仮に、あそこで死ねなかったら、どうなるんでしょう?

あそこまで、登り詰めた人間だけに、ですよ、

敵に捕まって、生き恥を晒しながら、何年も生き続けなければならないんですよ。

そんなんだったら、死んだ方が絶対にいいですよ。

神様が、うまい具合に死なせてくれたのです。

 

いつも言ってる事ですが、運の悪い人間は、死のうにも死ぬ事が出来ないのです。

これは僕の考えですが、死んだら生まれ変わって、また、新しい人生をやり直すだけです。

ヒトラーもムッソリーニも、死んで、また生まれ変わって、

同じような事を繰り返しているのです。

 

でも、あの戦争以来、この地上に、そんな人間は現れてはいないじゃないか、

と言う人もおられると思います。

その事については、以前、ミステリアス・ゾーンのコーナーでも述べましたが、

パラレル・ワールドの話をしまして、あの話は、実はSFの話ではなくて、

この世の真実なんだ、という事を言いました。

 

我々が、今、住んでいる世界と、よく似てはいるけど、

それとは、少しだけ違った世界が、まぁ、わかりやすく言うと、「異次元」の世界が

いくらでもある、と言う訳です。

 

設定は無数にあるのです。 我々が、今、生きている、この、

宇宙の中の、地球、そして人間、という設定だけが全てではありません。

場所も、時代も、設定も、全て自分で選べるのです。

あの20世紀の、戦争真っ只中という時代を選んで生まれ変わる事も

(内心で、思い続けていれば、)もちろん、出来ます。

 

そうです、ヒトラーもムッソリーニも、死んで、新しい、

また同じような世界に乗り移って、生まれ変わっている、という事です。

我々の、今、住んでいる、この世界ではありません。

 

ですから、あなたも僕も、この時代に生まれ変わっているのは、

自分で、好きで望んで、この設定、この時代に生まれ変わっているという事になりますね。

僕は、大正時代や、昭和時代初期などに、憧れやノスタルジーがありますが、

でも、もし実際に、自分がその時代に生まれてみれば、

色々と不平不満もあったと思います。

 

あの時代は、不便な事や面倒な事も、数多くあったでしょうからね。(笑)

あくまで、今、自分が生きている、この時代から見て、素晴らしい時代だ、

郷愁だ、などと叫んでいるだけなのかもしれません。

(何と言っても、戦争がありました、それを忘れています。)(笑)

 

ただ、これも僕の推測ですが、生まれ変わりとは言っても、

もう、随分先の先まで、決まっているような気もするのです。

もう、何百万回、何千万回、いや、もっと先の先の生まれ変わりまで………。

 

そして、もしかしたら、相当な回数(何百億、何千億、いや、もっと、)までいって、

また、巡り巡って、輪になって、

また、まったく同じ人生の繰り返しという事にも………。(笑)

 

とすれば、もう随分と昔に、僕も、このブログとまったく同じ物を同じ場所で、

書いていたのかもしれませんし、読者の皆さんもまた、同じ物を同じ場所で、

見ていたのかもしれませんね。

 

それを思うと、ちょっと、ゾッとしませんか?(笑)