皆さん、こんにちは。 敵は作った方が面白い、カツ丼小僧です。
え~~、今回で、ミステリアス・ゾーンは、一旦終了します。
また、後々、第3弾、第4弾と、ぶちかますつもりでいますので、
皆さん、楽しみにしておいてください。
今回は、最後ですので、人間の人生にまつわる大切な話をします。
誰もが、自分の意志や能力で切り開いて行きたい、自分の人生………。
でも、もし、人生の立体映画のフィルムが最初から出来上がっていて、
それを、ただ、なぞっているだけだとしたら………。
もし、そうだとしたら、この世における全ての事が、不可抗力、
どうにもならない事であり、何が起こっても誰の責任でもないという事になります。
そう、殺人や戦争すらもです。
「もし(if)」がないのですから、人生ルートの選択の余地は残されていない訳です。
そのような視点から、人間の人生を見た場合、
今までとは、まったく違った観念(イデア)が生まれて来るのです。
第二次世界大戦の罪悪の責任を、全て独裁者ヒトラー、ただ一人に押し付けて、
自分たちは、その犠牲者だったのだと、それで済ませてしまっていいのでしょうか?
あの時代は、戦争や争い、決闘、人殺しなど、案外頻繁に起こっていて、
それが、ある程度は、当たり前の時代でもあったのです。
今のように、ちょっと、拳でこついただけで、「暴力だ ! !」と、
大騒ぎする時代では、まったくありませんでした。
ヒトラーという個人の人間の人生を見た場合、あれ程までの頂点に登り詰めた訳ですから、
その犠牲者の事を考えなければ、非常に素晴らしい人生を歩んだと言えるのです。
上(頂上)を見ながら、(その過程を楽しみながら、)
夢と希望に燃えて生きてこれたのですから………。
ただ、独ソ戦でのスターリングラードの敗退以降の、
最後の3年間は確かに辛かっただろうし、本人にしてみれば、地獄だったと思います。
ただ、僕の考えを率直に言わせてもらうなら、人生の最後など、どうでもいいのです。
最後は、もう死にたくなって、死んで行くんですよ。
それが、神の計らいというものです。
だって、もし、死ぬ間際にまで、いい思いをしていたなら、
いつまでも、この世に未練が残って、
死のうにも死ねない(死にたくない)じゃないですか。
ヒトラーも、ムッソリーニも、最後、あそこで死ねたから良かったのです。
仮に、あそこで死ねなかったら、どうなるんでしょう?
あそこまで、登り詰めた人間だけに、ですよ、
敵に捕まって、生き恥を晒しながら、何年も生き続けなければならないんですよ。
そんなんだったら、死んだ方が絶対にいいですよ。
神様が、うまい具合に死なせてくれたのです。
いつも言ってる事ですが、運の悪い人間は、死のうにも死ぬ事が出来ないのです。
これは僕の考えですが、死んだら生まれ変わって、また、新しい人生をやり直すだけです。
ヒトラーもムッソリーニも、死んで、また生まれ変わって、
同じような事を繰り返しているのです。
でも、あの戦争以来、この地上に、そんな人間は現れてはいないじゃないか、
と言う人もおられると思います。
その事については、以前、ミステリアス・ゾーンのコーナーでも述べましたが、
パラレル・ワールドの話をしまして、あの話は、実はSFの話ではなくて、
この世の真実なんだ、という事を言いました。
我々が、今、住んでいる世界と、よく似てはいるけど、
それとは、少しだけ違った世界が、まぁ、わかりやすく言うと、「異次元」の世界が
いくらでもある、と言う訳です。
設定は無数にあるのです。 我々が、今、生きている、この、
宇宙の中の、地球、そして人間、という設定だけが全てではありません。
場所も、時代も、設定も、全て自分で選べるのです。
あの20世紀の、戦争真っ只中という時代を選んで生まれ変わる事も
(内心で、思い続けていれば、)もちろん、出来ます。
そうです、ヒトラーもムッソリーニも、死んで、新しい、
また同じような世界に乗り移って、生まれ変わっている、という事です。
我々の、今、住んでいる、この世界ではありません。
ですから、あなたも僕も、この時代に生まれ変わっているのは、
自分で、好きで望んで、この設定、この時代に生まれ変わっているという事になりますね。
僕は、大正時代や、昭和時代初期などに、憧れやノスタルジーがありますが、
でも、もし実際に、自分がその時代に生まれてみれば、
色々と不平不満もあったと思います。
あの時代は、不便な事や面倒な事も、数多くあったでしょうからね。(笑)
あくまで、今、自分が生きている、この時代から見て、素晴らしい時代だ、
郷愁だ、などと叫んでいるだけなのかもしれません。
(何と言っても、戦争がありました、それを忘れています。)(笑)
ただ、これも僕の推測ですが、生まれ変わりとは言っても、
もう、随分先の先まで、決まっているような気もするのです。
もう、何百万回、何千万回、いや、もっと先の先の生まれ変わりまで………。
そして、もしかしたら、相当な回数(何百億、何千億、いや、もっと、)までいって、
また、巡り巡って、輪になって、
また、まったく同じ人生の繰り返しという事にも………。(笑)
とすれば、もう随分と昔に、僕も、このブログとまったく同じ物を同じ場所で、
書いていたのかもしれませんし、読者の皆さんもまた、同じ物を同じ場所で、
見ていたのかもしれませんね。
それを思うと、ちょっと、ゾッとしませんか?(笑)