カツ丼小僧のミステリアス・ゾーン2 22

これまで何度か言ってきましたように、

数(数字)には、一つ一つ、それぞれ意味があるのですが、今回はそのお話です。

 

実は僕が、一時、非常に熱中していた事がありまして、それは何かと言いますと、

芸能人や有名人、著名人等の死んだ年齢です。(笑)

 

その死んだ年齢と言うのは、我々が普段使っている、満年齢で見るのですが、

その人の今まで歩んできた人生とか、性格、運命等と言った物を端的に現しているのです。

そう、端的にです。 このようなもので、何もその人間の全てが理解できるとか、

こまごまと解明出来るとか、そんなものでは、もちろんありません。

 

姓名判断に興味を持っていて、本を読んでいる人は、よくお分かりの事と思いますが、

数というのは、1から81まで、ちゃんと意味を持っていて、

それをまた、次に次にと繰り返して繋いでいます。

 

つまり、1~81で一つ、また82~162までで一つ、次は163~243までで一つ、

というように、以下、81数毎に繰り返していき、それが永遠と続いているのです。

 

1は内容的には82と同じ意味を持ち、以下、2は83、3は84、4は85、が同じです。

もちろん、同じとは言っても、まったく同じという訳ではありません。

「数の持つ意味の内容が同じ」という事で、1と82、2と83は、厳密に言えば、

違うには違うのです。ただ、同じ意味を含んでいるので、かなり似ています。

 

本によっては、1と81が同じで、以下、2と82、3と83、4と84が同じ、

としている物もありますが、僕の考えでは、それはまったくの誤りです。

それには、ちゃんと理由があるのですが、ここでは話が長くなりますので、今はしません。

後々、機会があれば話す事にします。

 

話がまた脇道に反れましたが、過去に亡くなられた方の年齢を見てみますと、

 

    ムッソリーニ 61歳、       マリリン・モンロー 36歳、

    ヒトラー   56歳、       ダイアナ妃     36歳、

    ゴッホ    37歳、                    ベートーベン    56歳、

 

という事になりますが、数の持つ意味を知らない皆さんには、その整合性がわからず、

何がなんだかチンプンカンプンで、さっぱり面白くないでしょうが、

僕からしてみれば、出来過ぎていて、面白くて面白くてしょうがありません。

(すいません。)(笑)

 

ムッソリーニの「61」という数は、高慢数とも、傲岸不遜数とも言われ、

数の中では、ちょっと特異な数です。           

頭がずば抜けてよく、何にでも精通していて、骨太のしっかりとしたオールマイティーな数なのですが、強気で頑強で人を見下すような所もあり、それで人に恨みを買って、

足下をすくわれるような事もあるかもしれません。

本質的には吉数という事ですが、僕にとっては「37」と並んで、最も好きな数です。

 

ムッソリーニの戦時中のDVDやビデオなどを見ますと、随分とげっそりしていて、

半病人のように写っている物もありますが、もう、戦況も完全に不利な状態にあって、

人生も終わりだと感じれば、誰だってあのようになってしまうんじゃないでしょうかね?

前にも書きましたが、死ぬ間際と言うのは、「もう死にたい、この世とおさらばしたい。」

と思うようになって死んで行くものではないでしょうか?

 

ムッソリーニの本当に偉大で、絶頂を極めた時期は、ヒトラーと知り合う前の、

30代、40代の時なのですが、そのあたりの頃の映像や資料は左程、残っていないし、

今、現代の人々は、殆ど第二次世界大戦中の映像しか見ていないので、

ムッソリーニという人物は、随分と小さく過小評価されてしまっていますが、

本来、人間の人生を見るにあたっては、やはり、中年期壮年期がメインになると

僕は思いますので、そういう所を、よくよく考慮して判定しなければなりません。

 

前にも書きましたが、死ぬ間際の数年間あたりを見て、その人間が病気などで、

苦しんで死んで行ったから、とか、残虐な殺され方をしただとかで、

その人間の人生が全て悪いんだ、などと考えるのは、まったくおかしな見方だと思います。

死ぬ間際なんて、その人間の長い長い人生の期間から見ると、ほんの僅かです。

その死の間際を迎えるまでの長い人生、どれだけ、楽しい事、胸がときめくような事、

喜び事があったのか、そちらの方に目を向けていないと全てを見誤る事になります。

 

昔、関口宏さん司会の「知ってるつもり?!」などと言う、

人の人生を、一時間のダイジェストで放送したテレビ番組がありましたが、

あれなどは、実質50分ぐらいの時間の内、およそ20分ぐらいを使って、

死ぬ間際の苦しくて、辛い場面を大袈裟にして取り上げて、

故人を無理にでも、悲劇の主人公に仕立て上げようとしていましたが、

死ぬ間際なんて、誰だって苦しいのは当たり前ですよ。 なにかおかしいです。(笑)

 

 

すいません、 またまた話が脱線です。

申し訳ありませんが、この話の続きは、また次回という事で………。