これまで何度か言ってきましたように、
数(数字)には、一つ一つ、それぞれ意味があるのですが、今回はそのお話です。
実は僕が、一時、非常に熱中していた事がありまして、それは何かと言いますと、
芸能人や有名人、著名人等の死んだ年齢です。(笑)
その死んだ年齢と言うのは、我々が普段使っている、満年齢で見るのですが、
その人の今まで歩んできた人生とか、性格、運命等と言った物を端的に現しているのです。
そう、端的にです。 このようなもので、何もその人間の全てが理解できるとか、
こまごまと解明出来るとか、そんなものでは、もちろんありません。
姓名判断に興味を持っていて、本を読んでいる人は、よくお分かりの事と思いますが、
数というのは、1から81まで、ちゃんと意味を持っていて、
それをまた、次に次にと繰り返して繋いでいます。
つまり、1~81で一つ、また82~162までで一つ、次は163~243までで一つ、
というように、以下、81数毎に繰り返していき、それが永遠と続いているのです。
1は内容的には82と同じ意味を持ち、以下、2は83、3は84、4は85、が同じです。
もちろん、同じとは言っても、まったく同じという訳ではありません。
「数の持つ意味の内容が同じ」という事で、1と82、2と83は、厳密に言えば、
違うには違うのです。ただ、同じ意味を含んでいるので、かなり似ています。
本によっては、1と81が同じで、以下、2と82、3と83、4と84が同じ、
としている物もありますが、僕の考えでは、それはまったくの誤りです。
それには、ちゃんと理由があるのですが、ここでは話が長くなりますので、今はしません。
後々、機会があれば話す事にします。
話がまた脇道に反れましたが、過去に亡くなられた方の年齢を見てみますと、
ムッソリーニ 61歳、 マリリン・モンロー 36歳、
ヒトラー 56歳、 ダイアナ妃 36歳、
ゴッホ 37歳、 ベートーベン 56歳、
という事になりますが、数の持つ意味を知らない皆さんには、その整合性がわからず、
何がなんだかチンプンカンプンで、さっぱり面白くないでしょうが、
僕からしてみれば、出来過ぎていて、面白くて面白くてしょうがありません。
(すいません。)(笑)
ムッソリーニの「61」という数は、高慢数とも、傲岸不遜数とも言われ、
数の中では、ちょっと特異な数です。
頭がずば抜けてよく、何にでも精通していて、骨太のしっかりとしたオールマイティーな数なのですが、強気で頑強で人を見下すような所もあり、それで人に恨みを買って、
足下をすくわれるような事もあるかもしれません。
本質的には吉数という事ですが、僕にとっては「37」と並んで、最も好きな数です。
ムッソリーニの戦時中のDVDやビデオなどを見ますと、随分とげっそりしていて、
半病人のように写っている物もありますが、もう、戦況も完全に不利な状態にあって、
人生も終わりだと感じれば、誰だってあのようになってしまうんじゃないでしょうかね?
前にも書きましたが、死ぬ間際と言うのは、「もう死にたい、この世とおさらばしたい。」
と思うようになって死んで行くものではないでしょうか?
ムッソリーニの本当に偉大で、絶頂を極めた時期は、ヒトラーと知り合う前の、
30代、40代の時なのですが、そのあたりの頃の映像や資料は左程、残っていないし、
今、現代の人々は、殆ど第二次世界大戦中の映像しか見ていないので、
ムッソリーニという人物は、随分と小さく過小評価されてしまっていますが、
本来、人間の人生を見るにあたっては、やはり、中年期壮年期がメインになると
僕は思いますので、そういう所を、よくよく考慮して判定しなければなりません。
前にも書きましたが、死ぬ間際の数年間あたりを見て、その人間が病気などで、
苦しんで死んで行ったから、とか、残虐な殺され方をしただとかで、
その人間の人生が全て悪いんだ、などと考えるのは、まったくおかしな見方だと思います。
死ぬ間際なんて、その人間の長い長い人生の期間から見ると、ほんの僅かです。
その死の間際を迎えるまでの長い人生、どれだけ、楽しい事、胸がときめくような事、
喜び事があったのか、そちらの方に目を向けていないと全てを見誤る事になります。
昔、関口宏さん司会の「知ってるつもり?!」などと言う、
人の人生を、一時間のダイジェストで放送したテレビ番組がありましたが、
あれなどは、実質50分ぐらいの時間の内、およそ20分ぐらいを使って、
死ぬ間際の苦しくて、辛い場面を大袈裟にして取り上げて、
故人を無理にでも、悲劇の主人公に仕立て上げようとしていましたが、
死ぬ間際なんて、誰だって苦しいのは当たり前ですよ。 なにかおかしいです。(笑)
すいません、 またまた話が脱線です。
申し訳ありませんが、この話の続きは、また次回という事で………。