皆さん、こんにちは。今回も、またまた「因果応報」に関する話です。
くどいようですが、こういう事は、何度も何度も繰り返し話さなくては、
中々、皆さんの記憶にしっかりと残ってくれないと思いますので、
このブログの中でも、手を変え品を変え、
多角度的に、色々な方面から語って行きたいと思います。
ところで皆さんは、物の扱いというのは、丁寧な方ですか? それとも手荒?
え? 物は、ちゃんと丁寧に扱っているって? ああ、それはよかった。
実は、こんな所にまで、因果応報の不気味な影が忍び寄っているのです。(笑)
僕の長年の観察によると、物を粗末に扱っている人、横暴で乱暴な振る舞いをする人、
短気で粗削りな性格の人というのは、自分自身も、突然大きな事故に合って、
骨折のような、大きな損傷を体に追いやすいのです。(と言うか、負う運命にあります。)
何と言うんでしょうか、つまり因果応報というのは、自分を軸として回りが回っていて、
その回りと言うのは自分自身を、そのまま写し出す鏡でもある訳ですが、
それは、対象物が人間だけではなく、物にまで当てはまるのです。
自分に気にくわない事があると、すぐに怒り狂って、物をそこらにブン投げたり、
ブチ壊したりする人がいるじゃないですか。
そういう人の心の中(想念世界)は常に荒々しい心象風景でもありますので、
自分をも含めた自分の周りの物全てに、現実の事として荒れた事象が起こるのです。
普段から、おとなしく穏やかな性格の人で、回りの物や自分の体をを丁寧に扱っている人は、
打撲だとか、骨折をしたり、暴漢に襲われて金属バットで滅多打ちにされるだとか、
闇討ちに合う、とか、体に大きな損傷を負ったりするような事は、まずないでしょう。
(ただ、ジワジワと蝕んでくる病気というのは、また別ですし、
大怪我を負っても、その後すぐ死んでしまった場合も、ちょっと意味合いは違ってきますが、
その話はややこしくなるので、また別の機会に………。)
スポーツの世界に身を投じている人は、特に気を付けなくてはなりません。
ボクサーなどというのはその典型で、僕としては 、ああいう人達には、
もう、今更何も言う事はありませんが、
野球やサッカーのような、極々、普通のスポーツでもそうです。
玉やボールをぶっ叩いたり、蹴っ飛ばしたりするという行為は、
逆に言えば、自分の体も、そのような痛い目に合うという事です。
物を手荒に扱っている訳ですから。(笑)
でも、そんな事言ったら、何も出来ないじゃないか、と言う方もおられるでしょうが、
そんな事はありません。 スポーツ選手は誰だって、ボールや人にぶつかったり
フェンスに激突したりして、怪我を負いながらも、なんとか一生懸命プレーしてます。
本当に皮肉的なもので、スポーツをしている人(特に荒々しいスポーツ)は、
必ず、怪我を負う宿命にあるのです。
一つは物を手荒に扱った事によるもので、
もう一つは自分の体を激しく動かす事を長い間続け過ぎたからです。
偶然ではありません。
スポーツなどで体を酷使した場合、特にその酷使した場所(手とか足)
が大きく損傷します。そこを使い過ぎたから、そうなったのです。
野球の投手が肩を壊したとか、走り過ぎて肉離れを起こしただとか言うのがいい例です。
当たり前じゃないか、と言われるでしょうが、逆に言えば、
酷使しなければ、その場所を損傷する事はなかったのです。
僕は、こういう話を、人体の科学だとか医学の立場で説明しているのではなく、
あくまで、「因果応報」の観点から解いているだけなのです。
例えば、足を激しく動かすような事を毎日続けていれば、損なうのは足です。
手とか、他の部分は関係ありません。
体のある部分の場所を極端に使いすぎると、その部分が怪我をしたり、
損傷したりして、ヘタをすると、もう二度と使えなくなったりするのです。
何故なら、本来その部分はその部分で、孤立した生き物なのです。
その箇所が悲鳴を上げている事を、自分で早く察知して気付かねばなりません。
あまり使いすぎて、壊してしまって再起不能となる(つまり、その部分が死んでしまう)
といけませんから、注意してください、と言っているのです。
かくいう僕も、ここの所、右肩の調子がおかしいのです。
右腕を上げると、痛くて痛くて、中々うまく回す事が出来ません。
長い事、イラストやこのブログを書いていたために右肩を酷使し過ぎたためだと思います。
知らず知らずの内に骨の方が、幾らかいびつに変形してしまったようです。
中々、元にもどりません。
つい最近ですよ、この事に気付いたの………。 いけませんねぇ………。(笑)
あっ、もしかしたら、僕のチ○ポも………。