「人間万事塞翁が馬」とでも言いましょうか、この世の中や人間の人生には、
実は無駄な事など、寸分もないのだという事を、自分の中で、完全に理解できるように
なったのは、今から、およそ10年くらい前の事でしょうか?
人間の人生には、あんな事で無駄足食った、だとか、あれは時間の無駄で
意味のない事だった、とか思う事が多々ありますが、
全ては巧妙に仕組まれた神の罠だったんです。
例えば、本来、せっかちで短気な性格の僕にとっては、
時間のロスと言うのは耐えられません。
待ち合わせの時間などに相手が遅れてくると、イライラして、表情にこそ出しません
でしたが、内心では怒り心頭に発していました。
しかし、僕も、自己啓発の本を読んだり神の存在の事などを考えたりして、
グルグルと頭の中が回転している内に、かなり客観的になり、
冷静に、第三者的な立場で、自分を見つめる事が出来るようになったのです。
相手が待ち合わせの時間に遅れて来た事によって、普段は気にも掛けなかった
その待ち合わせ場所の周りの風景を、ゆっくり観察する事が出来ただとか、
これからの段取りの手順を考えるだとか、その空いた時間という物は、
神がワザと僕に与えてくれた物だと、自分にとって都合よく解釈するようにしたのです。
トイレに行く時間に当てろ、……だとかね。(笑)
客観性と言う物は、人間にとって最も大切で重要なものであるという事を知りました。
また、自分にとって、どんなに辛い事や、意味のない無駄な事があっても、
よくよく冷静になって、一歩踏み留まって考えるようになりました。
「これは、むしろ何か、自分にとって都合のいい事があるんじゃないか。」と………。
(警察の僕に対する嫌がらせも。)(笑)
つまり、「ピンチはチャンス」とも考えるようにもなり、本来なら、
ノイローゼ気味で、取り乱しやすい僕でも、なんとか普通の人達と同じくらいか、
いや、それ以上のレベルで冷静さを保てるようになったのです。
正直、警察の嫌がらせが、一番に僕の性格をより強固な物に鍛え上げてくれていった、
とも言えるんですがね。(笑)
ただ僕の場合は、このブログを見てくれている皆さんのように、おっとりとした
落ち着きのある性格ではなく、本質的に情緒不安定な、荒っぽい性格です。
僕が、こうした神や占いに頼るのもそのためです。
なにか自分の心を安定させるための守り神が欲しいからです。
ですから、この齢に至るまで、心の中で、何度も何度も、呪文のように、
自分の精神を安定させるような言葉を繰り返し、呟いてきました。
そうでもしていないと、自分自身が崩壊してしまうからです。
そうです、そして、その事もまた、自分にとって都合よく出来ていたのです。
全てが、このブログを書くための材料の素になったのですから………。
だって、自分が、こんなブログを書く事になるなんて、
ほんの少し前まで、思いも寄りませんでしたからね。
そうです、神は全てをお見通しだったのです。
僕が、このブログを書くことになる事も………。(笑)
※冒頭に出てきた「人間万事塞翁が馬」という故事成語ですが、
今、ネットで調べたら、「人間」の読み方は「にんげん」ではなく、
「じんかん」が正しいのだそうです。 びっくりしました。
この齢になって初めて知りました。 皆さんはどうですか?(笑)