カツ丼小僧のミステリアス・ゾーン2 6

人間、何故、足る事を知ってはならぬのか?

 

単刀直入に言いますと、ある程度、満たされた所で満足し、

欲望を持たない人間には、人生や生活に対しての向上心や、改善の念という物が無いわけで、

それ以上の発展や気運という物がその人間に望めないからです。

 

「いや、いいんだよ、俺は、別に。 このままで十分だ。小さな幸せの何が悪い。

 ギラギラ、がっついて生きるのは嫌だ。」

と言う人もおられるでしょうが、そうではないのです。

 

実は、「足る事を知れ。」などと言う、誤った教訓を素直に受け入れて、実践している人は、

今現在持っている、ささやかな幸福すらも、神によって奪われてしまう事になるのです。

 

つまり、どんなに、良い状態にいても、悪い状態にいても、

神はその人間の心の状態に見合った、幸、不幸を、その人間に与える訳です。

 

千円持っていて満足している人は、その千円すらも神に奪われ、

一千万円持っていても、まだ満足しない人は、更なるお金が与えられるという事です。

 

だって、考えても見れば当然の事ですよ。

千円持って満足している人というのは、余程、悲惨で惨めな境遇に陥らなければ、

中々、悩んだり、苦しんだりする状態にならない訳ですから。

 

逆に一千万持っていても、まだ、満足しないで上を見ている人は、ある意味、

一千万持っていても、そこで、まだ苦しんでいるという訳ですから、

お金に関しては、増える事すらあれ、減っていく事はないでしょう。

 

まぁ、今、お金中心に話を進めてきましたが、何もお金の事ばかりではありません。

自分の容姿や、体力、能力、スキルなどに関してもそうです。

そういう物を本気で得ようと思うのなら、常に上を向いて生きていかねばなりません。

 

絶対に足る事を知ってはなりません。

人間、死ぬまで欲望を追求していかねばならないのです。

その欲望の殻によって、自分の体に緊張感(バリヤー)が張られて、

自分の欲望を損傷する、嫌な状況や状態が、身の周りに起こらなくなるのです。

 

上を向いて生きる事をやめたら、全てが、そこで終わりです。

そこには緊張感という物がないので、不意に外部から、自分を中傷したり、

陥れたりする者が現れて、人生を没落せしめるハメになります。

まさに「油断大敵」という言葉は、言い得て妙です。

 

ただ、一つ、ここでお断りしておきたい事があるのですが、

今まで、僕が述べてきた事は、あくまで、頭で考えている想念の中での事を言っている訳で、

実際の行動とは違うのです。想念と行動は別です。

実は心で思った事が先で 、行動は、その結果として生まれる物なので、

 

「行動」に関して言えば、何とも言えません。

焦って、がっついて行動しても、なんら成果は上がらず、

失敗続きという事になるかもしれません。

 

つまり、ただ徒に、力任せに突き進んでも、自分の輝かしい未来を

常に心の中で想念していないと、全てがカラ回りに終わる事もあります。

………というより、自分の身の周りに起こる現象というのは、

自分が心の中で考えた総量分に等しい、というのが僕の考えですので、

 

長く、大きな人生の繁栄をあなたが望むのであれば、

常に、焦ることなく、あなたの想念を、心の中でじっくり育んでいかねばならないのです。

良い事を思い続けたからといって、それが、すぐ、目の前に現象として現れるだとか、

その様な事ではありません。現象として現れてくるのは、主に人生の後半でしょう。

 

ただね、僕も今まで、随分と偉そうな事をゴチャゴチャと述べて来ましたが、

お金に関しては、働きもしなかった割合には、そこそこ恵まれ、不自由しませんでしたが、

「体力」や「容姿」、という事になると、ちょっとね………。

 

僕、若い内から、体力がからっきしないんですよ。目も極度に悪いし、

ルックスも、左程良いという訳でもない。

 

体力がついて、容姿も良くなれ、と常に念じて、何十年か生きてきましたが、

一向に良くなる気配はない。(笑)

 

そろそろ、何か、突然変異でもあって、大きく改善してもらわないと………。

 

                神よ ! !