人間、何故、足る事を知ってはならぬのか?
単刀直入に言いますと、ある程度、満たされた所で満足し、
欲望を持たない人間には、人生や生活に対しての向上心や、改善の念という物が無いわけで、
それ以上の発展や気運という物がその人間に望めないからです。
「いや、いいんだよ、俺は、別に。 このままで十分だ。小さな幸せの何が悪い。
ギラギラ、がっついて生きるのは嫌だ。」
と言う人もおられるでしょうが、そうではないのです。
実は、「足る事を知れ。」などと言う、誤った教訓を素直に受け入れて、実践している人は、
今現在持っている、ささやかな幸福すらも、神によって奪われてしまう事になるのです。
つまり、どんなに、良い状態にいても、悪い状態にいても、
神はその人間の心の状態に見合った、幸、不幸を、その人間に与える訳です。
千円持っていて満足している人は、その千円すらも神に奪われ、
一千万円持っていても、まだ満足しない人は、更なるお金が与えられるという事です。
だって、考えても見れば当然の事ですよ。
千円持って満足している人というのは、余程、悲惨で惨めな境遇に陥らなければ、
中々、悩んだり、苦しんだりする状態にならない訳ですから。
逆に一千万持っていても、まだ、満足しないで上を見ている人は、ある意味、
一千万持っていても、そこで、まだ苦しんでいるという訳ですから、
お金に関しては、増える事すらあれ、減っていく事はないでしょう。
まぁ、今、お金中心に話を進めてきましたが、何もお金の事ばかりではありません。
自分の容姿や、体力、能力、スキルなどに関してもそうです。
そういう物を本気で得ようと思うのなら、常に上を向いて生きていかねばなりません。
絶対に足る事を知ってはなりません。
人間、死ぬまで欲望を追求していかねばならないのです。
その欲望の殻によって、自分の体に緊張感(バリヤー)が張られて、
自分の欲望を損傷する、嫌な状況や状態が、身の周りに起こらなくなるのです。
上を向いて生きる事をやめたら、全てが、そこで終わりです。
そこには緊張感という物がないので、不意に外部から、自分を中傷したり、
陥れたりする者が現れて、人生を没落せしめるハメになります。
まさに「油断大敵」という言葉は、言い得て妙です。
ただ、一つ、ここでお断りしておきたい事があるのですが、
今まで、僕が述べてきた事は、あくまで、頭で考えている想念の中での事を言っている訳で、
実際の行動とは違うのです。想念と行動は別です。
実は心で思った事が先で 、行動は、その結果として生まれる物なので、
「行動」に関して言えば、何とも言えません。
焦って、がっついて行動しても、なんら成果は上がらず、
失敗続きという事になるかもしれません。
つまり、ただ徒に、力任せに突き進んでも、自分の輝かしい未来を
常に心の中で想念していないと、全てがカラ回りに終わる事もあります。
………というより、自分の身の周りに起こる現象というのは、
自分が心の中で考えた総量分に等しい、というのが僕の考えですので、
長く、大きな人生の繁栄をあなたが望むのであれば、
常に、焦ることなく、あなたの想念を、心の中でじっくり育んでいかねばならないのです。
良い事を思い続けたからといって、それが、すぐ、目の前に現象として現れるだとか、
その様な事ではありません。現象として現れてくるのは、主に人生の後半でしょう。
ただね、僕も今まで、随分と偉そうな事をゴチャゴチャと述べて来ましたが、
お金に関しては、働きもしなかった割合には、そこそこ恵まれ、不自由しませんでしたが、
「体力」や「容姿」、という事になると、ちょっとね………。
僕、若い内から、体力がからっきしないんですよ。目も極度に悪いし、
ルックスも、左程良いという訳でもない。
体力がついて、容姿も良くなれ、と常に念じて、何十年か生きてきましたが、
一向に良くなる気配はない。(笑)
そろそろ、何か、突然変異でもあって、大きく改善してもらわないと………。
神よ ! !