カツ丼小僧のミステリアス・ゾーン2 4

我々が学生時代、必死になって学んだ学問………。

それは、神が造り上げた、この虚構世界の現実に、

我々人間を、どっぷりと浸からせるための礎であったのです。

 

とにかく、物心がついてすぐ、何も考える暇が与えられないままに、

自動的に、幼稚園、小学校、中学校、と勝手に送られて、進まされてきたのです。

 

そして学生時代は、人間にとって、過去などと言う物は殆どない訳ですから、

現在未来の事しか、考えるべくもありません。

誰もが、慌ただしく忙しい中で、超スピード式に人生が進行していったと思います。

 

自分が、生きて過ごしている、この現実世界に、

何の疑問も差し挟む余地などもありません。

両親がいて、学校があって、友達がいて、それが当たり前です。

 

「夢」に関してはどうでしょう?

夢と言うのは、もちろん人間が寝ている時に見ている、あの「夢」です。

 

我々は、目覚めてすぐ、

「ああ、今しがた、確かに面白い、幻想的な夢を見ていたんだが、

 う~~~ん、何だったんだろう? 思い出せない。」

という事が殆どで、見たであろう夢は、中々思い起こす事が出来ず、

暫くすると、まったく忘れてしまいます。

 

人生の中で、自分の見た夢を後々いつまでも憶えているのは、

御歳を召した人でも、僅か10回にも満たないと思います。

 

でも、もし仮に、あなたが、一生の中で見た夢を、全て、いや10分の1でも、

ハッキリ憶えていたら、どうなるでしょうか?

恐らく、夢と現実の区別をつける事が出来なくなり、

頭の中がおかしくなってしまうでしょう。

  

夢は記憶に残らず忘れてしまう。

我々は普段、そんな事は誰も深く考えもせず、当たり前の事のように思っていますが、

これは、人間が生きる上で、実はとてつもなく大切な事なのです。

 

また、逆の事を言うと、この現実の世界で、かなり刺激的な事件に遭遇すると、

我々の頭は、ボンヤリ空想していた、嘘の架空の出来事を忘れ、

この、慌ただしい現実世界に引き戻されます。

ちょっとした例で言うと、テレビを見ていて、殺人事件や車の衝突事故のニュースの

映像が、いきなり、目の前に飛び込んで来た時などがそうです。

大きな事では、両親が死んだとか、自分自身が不慮の事故に合ったという時です。

 

現実を現実の物と思わせるために、夢や空想の世界が存在する訳ですが、

しかし、夢と現実がまるっきり一緒になって、ゴチャマゼになってもいけません。

そこの所のバランスをうまく計りながら、

神が我々人間の人生をうまい具合に動かしているのです。

 

そう、神の目的は、ただ一つです。

我々人間に、この現実の世界を、神が造り上げた虚構の嘘っぱちの世界と思わせる事なく、

あたかも、身に染み入るような(厳しい)現実として、実感させるようにしているのです。

 

五感もそうです。 体の激しい痛みとか、痒み、寒気、武者震い、あくび、くしゃみ、

全てが、現実に引き戻すための物です。

我々は、この神経の通った肉体を持つ限り、

必ず現実の世界に引き戻される事になるのです。

 

あまりにもうまく出来過ぎているとは思いませんか?

 

そして人間は、普段このような事を誰も疑問に思いません。

だから、それがどうしたんだ、 当たり前じゃないか。 それで終わりです。

 

実は、僕にとって、その事が一番不思議ですし、一番恐ろしい事なんですけどね。(笑)