我々が学生時代、必死になって学んだ学問………。
それは、神が造り上げた、この虚構世界の現実に、
我々人間を、どっぷりと浸からせるための礎であったのです。
とにかく、物心がついてすぐ、何も考える暇が与えられないままに、
自動的に、幼稚園、小学校、中学校、と勝手に送られて、進まされてきたのです。
そして学生時代は、人間にとって、過去などと言う物は殆どない訳ですから、
現在未来の事しか、考えるべくもありません。
誰もが、慌ただしく忙しい中で、超スピード式に人生が進行していったと思います。
自分が、生きて過ごしている、この現実世界に、
何の疑問も差し挟む余地などもありません。
両親がいて、学校があって、友達がいて、それが当たり前です。
「夢」に関してはどうでしょう?
夢と言うのは、もちろん人間が寝ている時に見ている、あの「夢」です。
我々は、目覚めてすぐ、
「ああ、今しがた、確かに面白い、幻想的な夢を見ていたんだが、
う~~~ん、何だったんだろう? 思い出せない。」
という事が殆どで、見たであろう夢は、中々思い起こす事が出来ず、
暫くすると、まったく忘れてしまいます。
人生の中で、自分の見た夢を後々いつまでも憶えているのは、
御歳を召した人でも、僅か10回にも満たないと思います。
でも、もし仮に、あなたが、一生の中で見た夢を、全て、いや10分の1でも、
ハッキリ憶えていたら、どうなるでしょうか?
恐らく、夢と現実の区別をつける事が出来なくなり、
頭の中がおかしくなってしまうでしょう。
夢は記憶に残らず忘れてしまう。
我々は普段、そんな事は誰も深く考えもせず、当たり前の事のように思っていますが、
これは、人間が生きる上で、実はとてつもなく大切な事なのです。
また、逆の事を言うと、この現実の世界で、かなり刺激的な事件に遭遇すると、
我々の頭は、ボンヤリ空想していた、嘘の架空の出来事を忘れ、
この、慌ただしい現実世界に引き戻されます。
ちょっとした例で言うと、テレビを見ていて、殺人事件や車の衝突事故のニュースの
映像が、いきなり、目の前に飛び込んで来た時などがそうです。
大きな事では、両親が死んだとか、自分自身が不慮の事故に合ったという時です。
現実を現実の物と思わせるために、夢や空想の世界が存在する訳ですが、
しかし、夢と現実がまるっきり一緒になって、ゴチャマゼになってもいけません。
そこの所のバランスをうまく計りながら、
神が我々人間の人生をうまい具合に動かしているのです。
そう、神の目的は、ただ一つです。
我々人間に、この現実の世界を、神が造り上げた虚構の嘘っぱちの世界と思わせる事なく、
あたかも、身に染み入るような(厳しい)現実として、実感させるようにしているのです。
五感もそうです。 体の激しい痛みとか、痒み、寒気、武者震い、あくび、くしゃみ、
全てが、現実に引き戻すための物です。
我々は、この神経の通った肉体を持つ限り、
必ず現実の世界に引き戻される事になるのです。
あまりにもうまく出来過ぎているとは思いませんか?
そして人間は、普段このような事を誰も疑問に思いません。
だから、それがどうしたんだ、 当たり前じゃないか。 それで終わりです。
実は、僕にとって、その事が一番不思議ですし、一番恐ろしい事なんですけどね。(笑)